クーマは古代ローマ時代より古く、紀元前8世紀頃当時人口増加により、危機的な食糧難に陥っていたギリシャが、計画的に送り出していた移民団により建設された。行き先は巫女の神託によって決めていた当時、イタリアのティレニア海側ではシチリア東海岸よりいち早くできた町。
まずはピテクーサ(現イスキア島)へたどり着いたギリシャ人たちは、その後目と鼻の先にあるこのクーマへ移民してきた。小高い丘から海を一望できる地形すなわち、敵の襲来をいち早く発見することができる場所は、都市を作るうえで欠かせないからだ。5世紀〜6世紀にかけて、上の町が滅び始め、最終的には915年のサラセン人襲来でクーマの歴史は完全に崩壊する。
その後シチリアのナクソス、アグリジェント、クロトーネなど、南イタリアとシチリア東部のギリシャ植民都市をMagnia
Grecia(大ギリシャ)と読んでいる。
このクーマの遺跡はポンペイなどに比べると小さめで、バスなどはあるようだが機能してない事も多く、アクセスが非常に悪いことから、ナポリから公共交通で訪れるのはかなり難しい。このような諸事情でいつも観光客が非常に少ない。
遺跡内に入ると、ネクロポリと呼ばれる古墳があった地下道が見られる。この地下道はアベルノ湖とつながり、アベルノ湖は、海とつながっていたため、敵が襲ってきたときに、この地下道を通り、海に抜け、逆に、敵を海上で包囲し、奇襲していた。この、ネクロポリの左手にはギリシャ世界の巫女、シビラ(アポロの神託を受け取る巫女)の洞窟がある。このトンネルの作り出すシルエットは光と影が交差して、とても素晴らしい。そんなきれいな場所に醜いシビラは、人にその姿を見られることを嫌い、トンネルの一番奥の、光の当たらない真っ暗な部屋にこもり、シビラをたずねてくる人々や、魔術師にあっていたという神話はさておき、このトンネルの穴の形が面白い。ローマ時代に入ってからは、アーチ型に作られていたトンネルも、ギリシャ時代は、このように彫り、トンネルが崩れないようにしていたようだ。
下の平地に位置するアポロ神殿はゴート族との戦いで崩れてしまい、現在遺跡の中に残るアポロ神殿は、古代ローマのアウグストス皇帝時代に修復されたもの。初代キリスト教時代に神殿はバジリカに変容された。付近には水をためるための貯水槽の跡もある。
このアポロ神殿横から、緩やかに続く坂道が、ジュピター神殿だ。イタリア語では、giove(ジョーべ)。ちなみにギリシャ神話では、ゼウスの名前で語られている。時代の流れと共に、初代キリスト教時代に聖なる神殿から、教会へと変容したため写真手前の小さな穴は、貯水槽のように思われるが、洗礼のための聖水がおかれていた場所。内側には、装飾の大理石が今も残る。その2つのアーチ横には、小さな棺が残る。
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