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洞窟住居の町マテーラ
         
 
     
   

 

新しく再生する街、マテーラ
 マテーラの街は ”毎回訪れるたびに変化している”。 サッシと呼ばれる洞窟住居がある地区に点在していたモニュメントに説明が付けられ、 そこまでたどり着くのにも、案内板がちらほらたつようになり、 私のように、道を知らない観光客にちょっと優しくなったような気がする。 とは言っても、決して小さくないこの街をじっくり見るため地図を片手に歩けども、どこも似たような廃墟地区でまったくのお手上げ状態。 ガイドのエンゾさんと共に廃墟の中を歩くと、近代風に改築した面白いホテルの話や、 洞窟住居の中でおみやげの焼き物に色をつけているおじいちゃん、昔の暮らしぶりを紹介した家など、あちこち説明してくれる。彼のようなマテラに住む若者達のこの町を守ろうとする、 モチベーションの高さと、行動力でマテーラはもっと素敵な街になるだろう。

サッシ(洞窟住居)再生のストーリー

第二次世界大戦後、近代的スタイルを合理性とし、貧しい人が住み続けた、ごちゃごちゃした非衛生なこの洞窟住居は、 「南イタリアの悪夢」とさえ言われるようになる。実際当時は竪穴式の住居の中に、人間と家畜が同居し、さらにキッチン、トイレも同空間にあり、 何でもござれ状態の生活。追い討ちをかけるように、カルロ レーヴィが著「キリストはエボリにて止りぬ」の中で、人々の生活を 描写したことにより、イタリア全土に向けマテラの状況を告白することとなる。
 その後イタリア政府の指導の下、人々は洞窟住居を後にし、高台の新市街区へ移動ししばし人々の記憶から忘れ去られたサッシ地区。 その後独創的なこのサッシが1976年にマテーラ市の企画で大きな転換をはじめる。当時は非衛生で、貧民の巣窟として嫌がられたサッシだが、 個性的な住居と環境、イタリアでも例を見ない洞窟教会など年々人々の注目を集めだし、現在は南イタリアでも注目の観光スポットとして、 年々発展しつつある。

 
   


 
   

映画”パッション”がマテーラで撮影される

キリストの「受難」を描いたメルギブソンの作品 。イバラの冠をかぶらされ、重い十字架の横木を背負い、ゴルゴダの丘で両手両足を釘打ちされた十字架刑の事実を、映画化した。 凄惨感が話題を呼びローマ法王をも巻き込んでの論争に…。マテーラでは、特に十字架に貼り付けになったキリストのシーンがこの階段で撮影された。キリストの運命と、ゴルゴタの寂しい情景がマッチした情感あふれる映画だ。

今現在のマテーラの街は、そんな厳しく険しい雰囲気だけでなく、渓谷の反対側に広がる手つかずの自然が来る人を魅了する。そして何より思ったより大きなスケールで、圧倒されるだろう。

世界遺産リストに登録するにあたっては、どのような点で世界遺産としてふさわしいのか、 クライテリア(登録基準)が設けられている。マテーラはC(iii)C(iv)C(v) とCの基準をクリアし1993年ユネスコの世界遺産に登録された。

 
     
   

マテーラの街あるき

 現在の街の中心は高台のチビタ地区にある、Piazza Vittorio veneto(ビットリオ・ベネト広場)と呼ばれる噴水のある広場だ。ロマネスク様式の美しい大聖堂もこの地区にある。 さて、サッシ地区は2つに分かれていて、大聖堂をはさんで南側がカベオーゾ地区、 北側がバリサーノ地区と呼ばれるサッシ地区(岩場の居住地をサッソと呼び、 複数形がサッシ)。 比較的整備されているカベオーゾ地区にフレスコ画の残る洞窟教会や、Casa della grotta(洞窟住居博物館)などがある。

マテーラはイタリアでよく見られる、凝灰石で、なんと、先史人が自然の侵食でできたさまざまな形の穴を利用してすでに住み着いていたのが起源。 何層にも重なり合って、崖の下から上へ伸びている洞窟住居なので、家屋の屋根が道路だったりするのは当たり前。 そして、5〜10軒の小さなコミュニティ(ヴィチナーティ)毎に、公共の中庭や井戸があるスタイルが特徴的。 町の中には洞窟教会への道順が書かれた看板もあり、以前に比べ、格段に解りやすくなっている。

 
 
 

サンタマリア デ イドリス教会 カヴェオーゾ地区
サンジョバンニ イン モンテローネ教会 カヴェオーゾ地区

 ごつごつした岩の上に乗った十字架が特徴的。2つの教会が合体しているので名前が2つついている。入ってすぐの部分が、サンタマリア デ イドリス教会。その祭壇の左脇にある通路の奥には、もう一つの教会サンジョバンニインモンテネーロがある。

ビザンチン様式のフレスコ画が残る内部は、 当時一般人の住居として使われた時代があり、特に一番奥の部屋は、空間の確保からいくつかのフレスコ画が崩された悲しい事実も。 それでも素晴らしい保存状態のフレスコ画が残る。全能のキリストが祝福を与えている向かいには、聖ニコラの絵が描かれている。また奥には聖母子像のフレスコ画の下からは、聖人アンドレアの顔がのぞくなど全く別の絵がひょっこり見えている。 描かれた年代はバラバラ。教会前のテラスは映画”奇跡の丘”撮影された場所でもある。

※冬季13:00〜15:00の間はクローズの可能性あり

 
 

サンタルチア アッレ マルベ教会 カヴェオーゾ地区

 この教会は洞窟教会の中でも、多くのフレスコ画が残る貴重な存在。マテーラ最初のベネディクト会の僧院であったこの教会は、入って左の三廊式空間に「授乳の聖母」、「大天使ミカエル像」、 このようなスタイルでイエスキリストに授乳しているマリア像は大変珍しいらしい。

 洞窟教会内の柱に無数にある、小さな穴は、湿気を逃がすためのもの。少々大きな穴は、食料を保存しておくためのもので、上のほうにあるのは、ねずみよけだとか。入り口正面の柱には「聖グレゴリウス像」そして、名前の通り堂内には、聖ルチアの礼拝堂もある。

シラクーサの殉教聖女「聖ルチア」は美しい女性で、男性からのプロポーズが絶えず、自分の目をくり抜いてしまったのですが、神の力で治った聖女。以降、目の病気を治してくれる聖人と化した。礼拝堂の上を見上げればボールトの部分は、眼球のようなデザインが施されており、非常に興味深い。
※冬季13:00〜15:00の間はクローズの可能性あり

 
   

Casa grotta di vico solitario 洞窟住居博物館

洞窟住居の暮らしぶりがよく解る博物館。日本語の説明テープがあるので、非常にありがたい。 当時使われていた家具や農具を配置し、洞窟住居で人がどのように生活していたか?を説明してくれる。

1960年代まで実際に人間が暮らしていた洞窟住居。洞窟住居の多くは家畜と共存だった。そして唯一の通気口は玄関。必然的に台所は玄関横に作られた。家畜小屋は部屋の一番奥。 寝室に置かれたベットの下では鶏を飼うため、ベットの足は異常に高くしてわざと隙間を多くつくりその下で飼われていた。まさに知恵の凝縮した生活ぶり。そして洋服ダンスの引き出しは夜になると、子供ベッドとして使われていたなどなど、21世紀の現在と比べ過酷な環境を強いられた人々の生活を垣間見ることができる。

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