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神曲

LA DIVINA COMMEDIA

アリギエリ・ダンテ Alighieri Dante

山川丙三郎訳


煉獄篇



   第一曲

かのごとくむごき海をあとにし、まされる水をはせわたらんとて、今わが才の小舟をぶね帆を揚ぐ 一―三
かくてわれ第二の王國をうたはむ、こは人の靈きよめられて天に登るをうるところなり 四―六
あゝ聖なるムーゼよ、我は汝等のものなれば死せる詩をまた起きいでしめよ、願はくはこゝにカルリオペ 七―
少しく昇りてわが歌に伴ひ、かつてさちなきピーケを撃ちてゆるしをうるの望みを絶つにいたらしめたる調しらべをこれに傳へんことを ―一二
東の碧玉あをだまたへなる色は、第一の圓にいたるまで晴れたる空ののどけき姿にあつまりて 一三―一五
我かの死せる空氣――わが目と胸を悲しましめし――の中よりいでしとき、再びわが目をよろこばせ 一六―一八
戀にいざなふ美しき星は、あまねく東をほゝゑましめておのがともなる雙魚を覆へり 一九―二一
われ右にむかひて心を南極にとめ、第一の民のほかにはみしものもなき四の星をみぬ 二二―二四
天はそのちひさき焔をよろこぶに似たりき、あゝやもめとなれる北の地よ、汝かれらを見るをえざれば 二五―二七
われ目をかれらより離して少しく北極――北斗既にかしこにみえざりき――にむかひ 二八―三〇
こゝにわが身に近くたゞひとりのおきなゐたるをみたり、その姿は厚きうやまひを起さしむ、子の父に負ふ敬といふともこの上にはいでじ 三一―三三
その長き鬚には白き毛まじり、ふたつのふさをなして胸に垂れし髮に似たり 三四―三六
聖なるよつの星の光その顏を飾れるため、我彼をみしに日輪前にあるごとくなりき 三七―三九
彼いかめしき鬚をうごかし、いひけるは。失明めしひの川を溯りて永遠とこしへひとやよりのがれし汝等は誰ぞや 四〇―四二
誰か汝等を導ける、地獄の溪を常闇とこやみとなすけしよるよりいづるにあたりて誰か汝等の燈火ともしびとなれる 四三―四五
汝等斯くして淵の律法おきてを破れるか、はた天上のさだめ新たに變りて汝等罰をうくといへどもなほわが岩に來るをうるか。 四六―四八
わが導者このとき我をとらへ、ことばと手と表示しるしをもてわがはぎわが目をうや/\しからしめ 四九―五一
かくて答へて彼に曰ふ。我自ら來れるにあらず、ひとりの淑女天より降れり、我そのこひによりともとなりて彼をたすけぬ 五二―五四
されど汝は我等のまことの状態ありさまのさらに汝にかされんことを願へば、我もいかでか汝にこれを否むをねがはむ 五五―五七
それこの者未だ最後のゆふをみず、されどおろかにしてこれにちかづき、たゞいと短き時を殘せり 五八―六〇
われさきにいへるごとく、わが彼に遣はされしは彼を救はんためなりき、またわが踏めるこの路を措きては路ほかにあらざりき 六一―六三
我はすべての罪ある民をすでに彼に示したれば、いまや汝のまもりのもとに己を淨むる諸※(二の字点、1-2-22)の靈を示さんとす 六四―六六
わが彼をこゝにともなひ來れる次第は汝に告げんも事長し、高き處より力降りて我をたすけ、我に彼を導いて汝を見また汝の詞を聞かしむ 六七―六九
いざ願はくは彼の來れるをよみせ、彼往きて自由を求む、そもこのもののいとたふときはそがためにいのちをも惜しまぬもののしるごとし 七〇―七二
汝これを知る、そはそがためにウティカにて汝は死をも苦しみとせず、大いなる日にあざやかなるべきころもをこゝに棄てたればなり 七三―七五
我等永遠とこしへのりを犯せるにあらず、そはこの者は生く、またミノス我をつながず、我は汝のマルチアの貞節みさをの目あるひとやより來れり 七六―
あゝ聖なる胸よ、汝に妻とおもはれんとの願ひ今なほ彼の姿にあらはる、されば汝彼の愛のために我等を眷顧かへりみ ―八一
我等に汝のなゝつの國を過ぐるを許せ、我は汝よりうくる恩惠めぐみを彼に語らむ、汝若し己が事のかなたに傳へらるゝをいとはずば。 八二―八四
この時彼曰ふ。われ世にありし間、マルチアわが目を喜ばしたれば、その我に請へるところ我すべてこれをなせり 八五―八七
今彼禍ひの川のかなたにとゞまるがゆゑに、わがかしこを出でし時立てられし律法おきてに從ひ、またわが心を動かすをえず 八八―九〇
されど汝のいふごとく天の淑女の汝を動かし且つ導くあらば汝そがために我に求むれば足るなり、何ぞ諛言へつらひごとをいふをもちゐん 九一―九三
されば行け、汝一もとの滑かなるをこの者の腰につかねまたその顏を洗ひて一切の汚穢けがれを除け 九四―九六
霧のために※(「目+毛」、第3水準1-88-78)かすめる目をもて天堂の使者つかひの中なる最初の使者の前にいづるはふさはしからず 九七―九九
この小さき島のまはりのいと/\低きところ浪打つかなたに、藺ありてやはらかきひぢの上にふ 一〇〇―一〇二
この外には葉を出しまたは硬くなるべき草木くさきにてかしこに生を保つものなし、打たれてたわまざればなり 一〇三―一〇五
汝等かくして後こなたに歸ることなかれ、今出づる日は汝等に登り易き山路やまぢを示さむ。 一〇六―一〇八
かくいひて見えずなりにき、我は物言はず立ちあがりて身をいと近くわが導者によせ、またわが目を彼にそゝげり 一〇九―一一一
彼曰ふ。子よ、わが歩履あゆみに從へ、この廣野ひろのこゝより垂れてその低きはしにおよべばいざ我等うしろにむかはむ。 一一二―一一四
黎明あけぼの朝の時に勝ちてこれをその前よりわしらしめ、我ははるかに海の打震ふを認めぬ 一一五―一一七
我等はさびしき野をわけゆけり、そのさま失へる路をたづねて再びこれを得るまでは 一一八―一二〇
たゞいたづらに歩むことぞと自ら思ふ人に似たりき
露日と戰ひ、そのわたりの冷かなるためにたやすく消えざるところにいたれば 一二一―一二三
わが師雙手もろてをひらきてしづかに草の上に置きたり、我即ちそのこゝろをさとり 一二四―一二六
彼にむかひて涙に濡るゝ頬をのべしに、彼は地獄のかくせる色をこと/″\くこゝにあらはせり 一二七―一二九
かくて我等はさびしき海邊うみべ、その水を渡れる人の歸りしことなきところにいたれり 一三〇―一三二
こゝに彼、かの翁の心に從ひ、わが腰をくゝれるに、奇なる哉謙遜の草、彼えらびてこれを採るや 一三三―一三五
その抜かれし處よりたゞちに再びひいでき 一三六―一三八


   第二曲

日は今子午線のそのいと高きところをもてイエルサレムを蔽ふ天涯にあらはれ 一―三
これと相對あひむかひてめぐるは、天秤はかり(こは夜の長き時その手より落つ)を持ちてガンジェを去れり 四―六
さればわがゐしところにては、美しきアウローラの白き赤き頬、年ふけしため柑子かうじに變りき 七―九
我等はあたかも路のことをおもひて心進めど身止まる人の如くなほ海のほとりにゐたるに 一〇―一二
見よ、あした近きとき、わたつみのゆかの上西のかた低きところに、濃き霧の中より火星のあかくかゞやくごとく 一三―一五
わが目に見えし一の光(あゝ我再びこれをみるをえんことを)海を傳ひていと疾く來れり、げにいかなる羽といふとも斯許かくばかり早きはあらじ 一六―一八
われわが導者に問はんとて、しばらく目をこれより離し、後再びこれをみれば今はいよ/\あざやかにかついよ/\く大いなりき 一九―二一
その左右には何にかあらむ白き物見え、下よりもまた次第に白き物いでぬ 二二―二四
わが師なほ物言はざりしが、はじめの白き物翼とみゆるにいたるにおよび、舟子ふなこの誰なるをさだかに知りて 二五―二七
さけびていふ。いざとく跪き手を合すべし、見よこれ神の使者つかひなり、今より後汝かかる使者等つかひたちをみむ 二八―三〇
見よかれ人の器具うつはをかろんじ、かく隔たれる二の岸の間にも、擢を用ゐず翼を帆に代ふ 三一―三三
見よ彼これを伸べて天にむかはせ、朽つべき毛の如く變ることなきその永遠とこしへはねをもて大氣を動かす。 三四―三六
神の鳥こなたにちかづくに從ひそのさまいよ/\あざやかになりて近くこれを見るにたへねば 三七―三九
われ目を垂れぬ、彼はく輕くして少しも水に呑まれざる一の舟にて岸に着けり 四〇―四二
ともには天の舟人ふなびと立ち(さいはひその姿にかきしるさるゝごとくみゆ)、中には百餘の靈坐せり 四三―四五
イスラエルエヂプトを出でし時、彼等みな聲をあはせてかくうたひ、かの聖歌にしるされし殘りの詞をうたひをはれば 四三―四五
彼は彼等のために聖十字を截りぬ、彼等即ち皆みぎはにおりたち、彼はその來れる時の如くとく去れり 四九―五一
さてかしこに殘れるむれは、この處をば知らじとみえ、あたかも新しきものを試むる人の如くあたりをながめき 五二―五四
日はそのさやけき矢をもてはや中天なかぞらより磨羯を逐ひ、晝を四方に射下いくだせり 五五―五七
この時新しき民おもてをあげて我等にむかひ、いひけるは。汝等若し知らば、山に行くべき路ををしへよ。 五八―六〇
ヴィルジリオ答へて曰ふ。汝等は我等をこの處にくはしとおもへるならむ、されど我等も汝等と同じ旅客なり 六一―六三
我等はほかの路を歩みて汝等より少しく先に來れるのみ、その路のいとあらく且つかたきにくらぶれば今よりこゝを登らんは唯たはぶれの如くなるべし。 六四―六六
わが呼吸いきによりて我のなほ生くるをしれる魂等はおどろきていたくあをざめぬ 六七―六九
しかしてたとへば報告しらせをえんとて橄欖をもつ使者つかひのもとに人々むらがり、その一人ひとりだに踏みあふことを避けざるごとく 七〇―七二
かのさち多き魂等はみなとゞまりてわが顏をまもり、あたかも行きて身を美しくするを忘るゝに似たりき 七三―七五
我はそのひとりの大いなる愛をあらはし我を抱かんとて進みいづるを見、心動きて自らしかなさんとせしに 七六―七八
あゝ姿のほか凡て空しき魂よ、三度みたびわれ手をそのうしろに組みしも、三度手はわが胸にかへれり 七九―八一
思ふに我は怪訝あやしみの色に染まれるなるべし、かの魂笑ひて退き、我これを逐ひて前にすゝめば 八二―八四
しづかに我にめよといふ、この時我その誰なるをしり、しばらくとゞまりて我と語らんことを乞ふ 八五―八七
彼答ふらく。我先に朽つべき肉の中にありて汝を愛せる如く今きづなを離れて汝を愛す、此故に止まらむ、されど汝の行くは何の爲ぞや。 八八―九〇
我曰ふ。わがカゼルラよ、我のこの羈旅たびぢにあるは再びこゝに歸らんためなり、されど汝何によりてかく多く時を失へるや。 九一―九三
彼我に。時をも人をも心のまゝにえらぶもの、屡※(二の字点、1-2-22)我を拒みてこゝに渡るを許さゞりしかどこれ我に非をなせるにあらず 九四―九六
その意正しき意より成る、されど彼はこの三月みつきの間、乘るを願ふものあれば、うけがひて皆これを載せたり 九七―九九
さればこそしばしさき、我かのテーヴェロの水うしほに變る海のほとりにゆきたるに、彼こころよくうけいれしなれ 一〇〇―一〇二
彼今翼をかの河口くちに向く、そはアケロンテのかたにくだらざるものかしこに集まる習ひなればなり。 一〇三―一〇五
我。新しき律法おきて汝より、わがすべての願ひを鎭むるを常とせし戀歌の記憶またはそのわざを奪はずば 一〇六―一〇八
肉體とともにこゝに來りてつかれ甚しきわが魂を、ねがはくは少しくこれをもて慰めよ。 一〇九―一一一
「わが心の中にものいふ戀は」と彼はこのときうたひいづるに、そのうるはしさ今猶耳に殘るばかりにたへなりき 一一二―一一四
わが師も我も彼と共にありし民等もみないたくよろこびて、ほかに心に觸るゝもの一だになきごとくみゆ 一一五―一一七
我等すべてとゞまりて心を歌にとめゐたるに、見よ、かのけだかき翁さけびていふ。何事ぞおそき魂等よ 一一八―一二〇
何等の怠慢おこたりぞ、何ぞかくとゞまるや、わしりて山にゆきてけがれを去れ、さらずば神汝等にあらはれたまはじ。 一二一―一二三
たとへば食をあさりてつどへる鳩の、聲もいださず、その習ひなるほこりもみせで、麥やはぐさの實を拾ふとき 一二四―一二六
おそるゝもののあらはるゝあれば、さきにもまさる願ひに攻められ、忽ち食を棄て去るごとく 一二七―一二九
かの新しきむれ歌を棄て、山坂にむかひてゆきぬ、そのさま行けども行方ゆくへをしらざる人に似たりき 一三〇―一三二
我等もまたこれにおくれずいでたてり 一三三―一三五


   第三曲

彼等忽ち馳せ、廣野ひろのをわけて散り、理性にうながされて我等の登る山にむかへるも 一―三
我は身をわがたのもしき伴侶ともによせたり、我またいかで彼を觸れてわしるをえんや、誰か我を導いて山に登るをえしめんや 四―六
彼はみづから悔ゆるに似たりき、あゝ尊き清き良心よ、たゞさゝやかなる咎もなほ汝を刺すこといかにはげしき 七―九
彼の足すべての動作ふるまひの美をこぼついそぎを棄つれば、さきにせばまれるわが心 一〇―一二
さながら求むるものある如く思ひを廣くし、我はかの水の上より天にむかひていと高く聳ゆる山にわが目をそゝぎぬ 一三―一五
後方うしろに赤く燃ゆる日は、わがためにその光をへられて碎け、前方まへにわがかたちを殘せり 一六―一八
我わが前方まへにのみ黒き地あるをみしとき、おのが棄てられしことを恐れてわがかたへにむかへるに 一九―二一
我を慰むるもの全く我にむかひていふ。何ぞなほ疑ふや、汝はわが汝と共にありて汝を導くを信ぜざるか 二二―二四
わがやどりて影をうつせる身のうづもるゝ處にてははやゆふなり、この身ナポリにあり、ブランディツィオより移されき 二五―二七
さればわが前に今影なしとも、こはたがひに光をかざる諸天に似てあやしむにたらず 二八―三〇
そも/\威力ちからはかゝるからだを造りてこれに熱と氷の苛責の苦しみを感ぜしむ、されどその爲す事の次第の我等に顯はるゝことを好まず 三一―三三
もし我等の理性をもて、三にして一なる神の踏みたまふ無窮の道を極めんと望むものあらばそのもの即ち狂へるなり 三四―三六
人よ汝等は事を事として足れりとせよ、汝等もし一切を見るをえたりしならば、マリアは子を生むに及ばざりしなるべし 三七―三九
また汝等は、己が願ひをかなふるにふさはしかりし人々にさへ、その願ふところ實を結ばず却つて永遠とこしへに悲しみとなりて殘るを見たり 四〇―四二
わがかくいへるはアリストーテレ、プラトー、その外多くのものの事なり。かくいひて顏を垂れ、思ひなやみてまたことばなし 四三―四五
かゝるうちにも我等は山の麓に着けり、みあぐればいはほいと嶮しく、はぎはやきもこゝにては益なしとみゆ 四六―四八
レリーチェとツルビアの間のいとあらびいとすたれしこみちといふとも、これにくらぶれば、ゆるやかにして登り易き梯子はしごの如し 四九―五一
わが師歩みをとゞめていふ。誰か知る、山の腰低く垂れて翼なき族人たびびともなほ登るをうるは何方いづかたなるやを。 五二―五四
彼顏をたれて心に路のことをおもひめぐらし、我はあふぎて岩のまはりをながめゐたるに 五五―五七
この時わが左にあらはれし一群ひとむれの魂ありき、彼等はこなたにその足をはこべるも、來ることおそくしてしかすとみえず 五八―六〇
我曰ふ。師よ目を擧げてこなたを見よ、汝自ら思ひ定むるあたはずば彼等我等に教ふべし。 六一―六三
彼かれらを見、氣色けしきはれやかに答ふらく。彼等の歩履あゆみおそければいざ我等かしこに行かん、好兒よきこよ、望みをかたうせよ。 六四―六六
我等ゆくこと千歩にして、かの民なほ離るゝこと巧みなる投手なげての石のとゞくばかりなりしころ六七
彼等はみな高き岸なる堅き岩のほとりにあつまり、互ひに身をよせて動かず、おそれて道を行く人の見んとて止まる如くなりき 七〇―七二
ヴィルジリオ曰ふ。あゝさいはひに終れるものらよ、すでに選ばれし魂等よ、我は汝等のすべて待望む平安を指して請ふ 七三―七五
我等に山のなゝめにて上りうべきところを告げよ、そは知ることいと大いなる者時を失ふを厭ふことまたいと大いなればなり。 七六―七八
たとへば羊の、一づつ二づつまたは三づつをりをいで、殘れるものは臆してひくく目と口を垂れ 七九―八一
而して最初の者の爲す事をばこれに續く者皆傚ひて爲し、かの者止まれば、聲なく思慮こゝろなくその何故なるをも知らで、これがあたりに押合ふ如く 八二―八四
我はこの時かのさち多きむれ先手さきての、容端かたちたゞしく歩履あゆみいうにこなたに進み來るをみたり 八五―八七
さきに立つ者、わが右にあたりて光地に碎け、わが影岩に及べるをみ 八八―九〇
とゞまりて少しく後方うしろ退すされば、續いて來れる者は故をしらねどみなかくなせり 九一―九三
汝等問はざるも我まづ告げむ、汝等の見るものはこれ人のからだなり、此故に日の光地上に裂く 九四―九六
あやしむなかれ、信ぜよ、天より來る威能ちからによらで彼この壁にぢんとするにあらざるを。 九七―九九
師斯く、かのたふとき民手背てのおもてをもて示して曰ふ。さらば身をめぐらして先に進め。 一〇〇―一〇二
またそのひとりいふ。汝誰なりとも、かく歩みつゝ顏をこなたにむけて、世に我を見しことありや否やをおもへ。 一〇三―一〇五
我即ちかなたにむかひ、目を定めて彼を見しに、黄金こがねの髮あり、美しくして姿けだかし、されど一の傷ありてその眉の一を分てり 一〇六―一〇八
我謙へりくだりていまだみしことなしとつぐれば、彼はいざ見よといひてその胸の上のかたなる一の疵を我に示せり 一〇九―一一一
かくてほゝゑみていふ。我は皇妃コスタンツァの孫マンフレディなり、此故にわれ汝に請ふ、汝歸るの日 一一二―一一四
シチーリアとアラーゴナの名譽ほまれの母なるわが美しきむすめのもとにゆき、世の風評さた違はばまことを告げよ 一一五―一一七
わが身二の重傷いたでのために碎けしとき、われは泣きつゝ、かのよろこびて罪を赦したまふものにかへれり 一一八―一二〇
恐しかりきわが罪は、されどかぎりなき恩寵めぐみそのいと大いなるかひなをもて、すべてこれに歸るものをうく 一二一―一二三
クレメンテにそそのかされて我を狩りたるコセンツァの牧者、その頃神の聖經みふみの中によくこの教へを讀みたりしならば 一二四―一二六
わがからだの骨は、今も重き堆石つみいしに護られ、ベネヴェントに近き橋のたもとにありしなるべし 一二七―一二九
さるを今は王土のそとヴェルデの岸邊きしべに雨に洗はれ風にゆすらる、彼せる燈火ともしびをもてこれをかしこに移せるなり 一三〇―一三二
それ望みに緑の一點をとゞむる間は、人彼等の詛ひによりて全く滅び永遠とこしへの愛歸るをえざるにいたることなし 一三三―一三五
されどげに聖なる寺院の命にもとりて死する者、たとひつひに悔ゆといへども、その僭越なりし間の三十倍の時過ぐるまで 一三六―一三八
必ずそとなるこの岸にとゞまる、もし善き祈りによりて時の短くせらるゝにあらずば 一三九―一四一
請ふわがきコスタンツァに汝の我にあへる次第とこの禁制いましめとをうちあかし、汝がこの後我を悦ばすをうるや否やを見よ 一四二―一四四
そはこゝにては、世にある者の助けによりて、我等の得るところ大なればなり。 一四五―一四七


   第四曲

心の作用はたらきの一部喜びまたは憂ひを感ずる深ければ、魂こと/″\こゝにあつまり 一―三
また他の能力ちからをかへりみることなしとみゆ、知るべし、我等の内部うちに燃ゆる魂、一のみならじと思ふは即ち誤りなることを 四―六
この故に聞くこと見るもの、つよく魂をひきよすれば、人時の過ぐるを知らず 七―九
そは耳をとゞむる能力ちからは魂を全くむる能力ちからと異なる、後者はそのさまつながるゝに等しく前者にはきづななし 一〇―一二
我かの靈のいふところをきき且つはおどろきてしたしくこの事のまことなるをさとれり、そは我等かの魂等が我等にむかひ 一三―
聲をあはせて、汝等の尋ぬるものこゝにありと叫べる處にいたれる時、日はわがしらざる間にゆたかに五十をのぼりたればなり ―一八
葡萄黒むころ、たゞ一たばいばらをもて、村人むらびとかこあなといふとも、かのむれ我等をはなれし後 一九―
導者さきに我あとにたゞふたり登りゆきし徑路こみちよりは間々まま大いなるべし ―二四
サンレオにゆき、ノーリにくだり、ビスマントヴァを登りてその頂にいたるにもただ足あれば足る、されどこゝにては飛ばざるをえずと 二五―二七
即ち我に望みを與へ、わが光となりし導者にしたがひ、疾き翼深き願ひの羽を用ゐて 二八―三〇
我等は碎けし岩の間を登れり、がけ左右より我等に迫り、下なる地は手と足の助けを求めき 三一―三三
我等高きをか上縁うはべり、山の腰のひらけしところにいたれるとき、我いふ。わが師よ、我等いづれの路をえらばむ。 三四―三六
彼我に。汝一歩をも枉ぐるなかれ、さとき嚮導しるべの我等にあらはるゝことあるまで、たえず我に從ひて山を登れ。 三七―三九
いただきは高くして視力及ばず、また山腹は象限しやうげん中央なかばすぢよりはるかに急なり 四〇―四二
我疲れて曰ふ。あゝやさしき父よ、ふりかへりて我を見よ、汝若しとゞまらずば、我ひとりあとに殘るにいたらむ。 四三―四五
わが子よ、身をこの處まで曳き來れ。彼は少しく上方うへにあたりて山のこなたをことごとくめぐれる一の高臺パルツオを指示しつゝかくいへり 四六―四八
このことばにはげまされ、我は彼のあとより匍匐はひつゝわが足圓の上を踏むまでしひて身をすゝましむ 四九―五一
我等はこゝに、我等の登れるかたなりし東に向ひて倶に坐せり、そは人顧みて心を慰むる習ひなればなり 五二―五四
我まづ目を低きみぎはにそゝぎ、後これを擧げて日にむかひ、その光我等の左を射たるをあやしめり 五五―五七
詩人はわがかの光の車の我等とアクイロネの間を過ぐるをみていたく惑へることをさだかにさとり 五八―六〇
即ち我にいひけるは。若しカストレとポルルーチェ、光を上と下とにおくるかの鏡とともにあり 六一―六三
かつかのものその舊き道を離れずば、汝は赤き天宮の今よりもなほ北斗に近くめぐるをみるべし 六四―六六
汝いかでこの事あるやをさとるをねがはば、心をこめて、シオンとこの山と地上にその天涯を同じうし 六七―
その半球を異にするを思へ、さらば汝の智にしてもしよくあきらかにこゝにいたらば、かのフェートンがさちなくも
車を驅るを知らざりし路は何故に此の左、彼の右をかならず過ぐるや、汝これを知るをえむ。 ―七五
我曰ふ。わが師よ、才の足らじとみえしところを、げに今にいたるまで我かくあきらかにさとれることなし 七六―七八
さる學術にて赤道とよばれ、常に日と冬の間にありていと高くめぐる天の中帶は 七九―八一
汝の告ぐることわりにより、この處を北に距ること、希伯來人エブレオびとがこれをみしとき彼等を熱き地のかたに距れるに等し 八二―八四
されど我等いづこまで行かざるをえざるや、汝ねがはくは我にしらせよ、山高くそびえてわが目及ぶあたはざればなり。 八五―八七
彼我に。はじめ常に艱しといへども人の登るに從つてその勞を少うするはこれこの山の自然なり 八八―九〇
此故に汝これをたのしみ、のぼるの易きことあたかも舟にて流れを追ふごときにいたれば 九一―九三
すなはちこの徑路こみちく、汝そこにて疲れを休むることをうべし、わが汝に答ふるは是のみ、しかして我この事のまことなるを知る。 九四―九六
彼その言葉をへしとき、あたりに一の聲ありていふ。おそらくは汝それよりさきに坐せざるをえざるなるべし。 九七―九九
かくいふをききて我等各※(二の字点、1-2-22)ふりかへり、左に一の大いなる石を見ぬ、こは我も彼もさきに心をとめざりしものなりき 一〇〇―一〇二
我等かしこに歩めるに、そこには岩のうしろなる蔭にいこへるむれありてそのさま怠惰おこたりのため身を休むる人に似たりき 一〇三―一〇五
またそのひとりはよわれりとみえ、膝を抱いて坐し、顏を低くその間に垂れゐたり 一〇六―一〇八
我曰ふ。あゝうるはしきわが主、彼を見よ、かれ不精ぶせいを姉妹とすともかくおこたれるさまはみすまじ。 一〇九―一一一
この時彼我等のかたに對ひてその心をとめ、目をたゞもゝのあたりに動かし、いひけるは。いざ登りゆけ、汝は雄々をゝし。 一一二―一一四
我はこのときその誰なるやをしり、疲れ今もなほ少しくわがいきをはずませしかど、よくこの障礙しやうげにかちて 一一五―一一七
かれのもとにいたれるに、かれ殆んどかうべをあげず、汝は何故に日が左より車をはするをさとれりやといふ 一一八―一二〇
その無精ぶせいさまと短きことばとは、すこしくゑみをわが唇にうかばしむ、かくて我曰ふ。ベラックヮよ、我は今より 一二一―
また汝のために憂へず、されど告げよ、汝何ぞこゝに坐するや、導者を待つか、はたたゞ汝のりし習慣ならひに歸れるか。 ―一二六
彼。兄弟よ、登るも何の益かあらむ、門に坐する神の鳥は、我が苛責をうくるを許さざればなり 一二七―一二九
われ終りまで善き歎息なげきを延べたるにより、天はまづ門のそとにて我をめぐる、しかしてその時の長さは世にて我をめぐれる間と相等し 一三〇―一三二
若し恩惠めぐみのうちに生くる心のさゝぐる祈り(異祈あだしいのりは天聽かざれば何のかひあらむ)、これより早く我を助くるにあらざれば。 一三三―一三五
詩人既に我にさきだちて登りていふ。いざ來れ、見よ日は子午線に觸れ、夜は岸邊きしべより 一三六―一三八
はやその足をもてモロッコをおほふ。


   第五曲

我既にかの魂等とわかれてわが導者の足跡あしあとに從へるに、このとき一者ひとり後方うしろより我を指ざし 一―三
叫びていふ。見よ光下なるものの左を照さず、彼があたかも生者のごとく歩むとみゆるを。 四―六
我はこのことばを聞きて目をめぐらし、彼等のあやしみてわれひとり、ただわれひとりと、碎けし光とを目守まもるをみたり 七―九
師曰ふ。汝何ぞ心ひかれて行くことおそきや、彼等の私語さゝやき汝と何のかゝはりあらんや 一〇―一二
我につきて來れ、斯民このたみをその言ふにまかせよ、風吹くともいただきゆるがざるつよきやぐらの如く立つべし 一三―一五
そは思ひ湧き出でて思ひに加はることあれば、後の思ひ先の思ひの力をよわめ、人その目的めあてに遠ざかる習ひなればなり。 一六―一八
我行かんといふの外また何の答へかあるべき、人にしば/\ゆるしをえしむる色をうかめてわれ斯くいへり 一九―二一
かゝる間に、山の腰にそひ、横方よこあひより、かはる/″\憐れみたまへを歌ひつゝ、我等のすこしく前に來れる民ありき 二二―二四
彼等光のわが身にさへぎらるゝをみしとき、そのうたへる歌を長き嗄れたるあゝに變へたり 二五―二七
しかしてそのうちより使者つかひとみゆるものふたり、こなたにはせ來り、我等にこひていふ。汝等いかなるものなりや我等に告げよ。 二八―三〇
わが師。汝等たちかへり、汝等を遣はせるものに告げて、彼の身はまことの肉なりといへ 三一―三三
若しわがはかるごとく、彼の影を見て彼等止まれるならば、この答へにて足る、彼等に彼をあがめしめよ、さらば彼等益をえむ。 三四―三六
夜の始めに澄渡るそらを裂き、または日の落つるころ葉月はづき叢雲むらくもを裂く光といふとも、そのはやさ 三七―三九
かなたに歸りゆきし彼等には及ばじ、さてかしこに着くや彼等は殘れる者とともに恰も力のかぎり走るむれの如く足をこなたにめぐらせり 四〇―四二
詩人曰ふ。我等に押寄する民かず多し、彼等汝に請はんとて來る、されど汝止まることなく、行きつゝ耳をかたむけよ。 四三―四五
彼等來りよばはりていふ。あゝさいはひならんため生れながらの身と倶に行く魂よ、しばらく汝の歩履あゆみとゞめよ 四六―四八
我等の中に汝嘗て見しによりてその消息おとづれを世に傳ふるをうる者あるか、あゝ何すれぞ過行くや、汝何すれぞ止まらざるや 四九―五一
我等は皆そのかみ横死を遂げし者なり、しかして臨終いまはにいたるまで罪人つみびとなりしが、この時天の光我等をいましめ 五二―五四
我等は悔いつゝ赦しつゝ、神即ち彼を見るの願ひをもて我等の心をはげますものとやはらぎて世を去れるなり。 五五―五七
我。われよく汝等の顏をみれども、一だにしれるはなし、されど汝等の心にかなひわが爲すをうる事あらば、良日よきひもとに生れし靈よ 五八―六〇
汝等いへ、さらば我は、かゝる導者にしたがひて世より世にわが求めゆく平和を指してこれをなすべし。 六一―六三
一者ひとり曰ふ。汝誓はずとも我等みな汝の助けを疑はず、もし力及ばざるため意斷たるることなくば 六四―六六
この故に我まづひとりいひいでて汝に請ふ、汝ローマニアとカルロの國の間の國をみるをえば 六七―六九
汝の厚き志により、わがためにファーノの人々に請ひてよき祈りをささげしめ、我をしてわが重き罪を淨むるをえしめよ 七〇―七二
我はかしこの者なりき、されど我の宿れる血の流れいでし重傷ふかでをばわれアンテノリのふところに負へり 七三―七五
こはわがいと安全やすらかなるべしとおもへる處なりしを、エスティの者、正義の求むる範圍かぎりを超えて我を怨みこの事あるにいたれるなり 七六―七八
されどオリアーコにて追ひかるゝとき、若しはやくラ・ミーラのかたに逃げたらんには、我は息通いきかよふかなたに今もありしなるべし 七九―八一
われ澤に走りゆき、あしひぢとにからまりて倒れ、こゝにわが血筋ちすぢの地上につくれるうみを見ぬ。 八二―八四
この時また一者ひとりいふ。あゝねがはくは汝を引きてこの高山たかやまに來らしむる汝の願ひ成就せんことを、汝善きあはれみをもてわが願ひをたすけよ 八五―八七
我はモンテフェルトロの者なりき我はボンコンテなり、ジヨヴァンナも誰もわが事を思はず、此故にわれ顏を垂れて此等の者と倶に行く。 八八―九〇
我彼に。汝の墓の知られざるまで、カムパルディーノより汝を遠く離れしめしは、そも/\何の力何の運ぞや。 九一―九三
彼答ふらく。あゝカセンティーノの麓に、横さまに流るゝ水あり、隱家かくれがの上なるアペンニノより出で、名をアルキアーノといふ 九四―九六
われ喉を刺されし後、かちにて逃げつゝ野を血に染めて、かの流れの名消ゆる處に着けり 九七―九九
わが目こゝに見えずなりぬ、わが終焉をはりの詞はマリアの名なりき、われこゝに倒れ、殘れるものはたゞわが肉のみ 一〇〇―一〇二
われまことを汝に告げむ、汝これを生者しやうじやに傳へよ、神の使者つかひ我を取れるに地獄の使者よばはりて、天に屬する者よ 一〇三―
汝何ぞ我物を奪ふや、唯一しづくの涙の爲に彼我を離れ、汝彼の不朽の物を持行くとも我はその殘りをばわが心のまゝにあしらはんといふ ―一〇八
濕氣空に集りて昇り、冷えて凝る處にいたれば、直ちに水にかへること、汝のさだかに知るごとし 一〇九―一一一
さてかの者たゞ惡をのみ圖る惡意を智に加へ、そのさがよりうけし力によりて霧と風とを動かせり 一一二―一一四
かくて日暮れしとき、プラートマーニオよりかの大いなる連山にいたるまで、彼霧をもて溪を蔽ひ、上なる天を包ましむれば 一一五―一一七
密雲變じて水となり、雨りぬ、その地に吸はれざるものみな狹間はざまに入れ 一一八―一二〇
やがて多くの大いなる流れと合し、たふとき川に向ひて下るに、その馳することいとはやくして、何物もこれをひきとむをえざりき 一二一―一二三
たくましきアルキアーンははや強直こはばりしわが體をその口のあたりに見てこれをアルノに押流し、わが苦しみにたへかねしとき 一二四―
身をもて造れる十字架を胸の上より解き放ち、岸に沿ひまた底に沿ひて我をまろばし、遂に己が獲物えものをもて我を被ひ且つ卷けり。 ―一二九
この時第三の靈第二の靈に續いて曰ふ。あゝ汝世に歸りて遠き族程たびぢの疲れより身を休めなば 一三〇―一三二
われピーアを憶へ、シエーナ我を造りマレムマ我をこぼてるなり、こはえにしの結ばるゝころまづ珠の指輪をば 一三三―一三五
我に與へしものぞしるなる 一三六―一三八


   第六曲

ヅァーラの遊戲あそび果つるとき、敗者まくるものは悲しみて殘りつゝ、くりかへし投げて憂ひの中に學び 一―三
人々は皆勝者かつものとともに去り、ひとりまへに行きひとりうしろよりこれをひかへひとりかたへよりこれに己を憶はしむるに 四―六
かの者止まらず、彼に此に耳を傾け、また手を伸べて與ふればその人再び迫らざるがゆゑに、かくして身をまもりて推合おしあふことをく 七―九
我亦斯の如く、かのこみあへるむれの中にてかなたこなたにわが顏をめぐらし、約束をもてそのきづなを絶てり 一〇―一二
こゝにはアレッツオびとにてギーン・ディ・タッコのたけかひなに死せるもの及び追ひて走りつゝ水に溺れし者ゐたり 一三―一五
こゝにはフェデリーゴ・ノヴェルロ手を伸べて乞ひ、善きマルヅッコにその強きをあらはさしめしピサの者またしかなせり 一六―一八
我は伯爵コンテオルソを見き、また自らいへるごとく犯せる罪の爲にはあらで怨みと嫉みの爲に己がからだより分たれし魂を見き 一九―二一
こはピエール・ダ・ラ・ブロッチアの事なり、ブラバンテの淑女はこれがためこれより惡しきむれの中に入らざるやう世に在る間に心構こゝろがまへせよ 二二―二四
さてすべてこれ等の魂即ちはやくその罪を淨むるをえんとてたゞ人の祈らんことを祈れる者を離れしとき 二五―二七
我曰ひけるは。あゝわが光よ、汝はあきらかに詩の中にて、祈りが天のさだめを枉ぐるを否むに似たり 二八―三〇
しかしてこの民これをのみ請ふ、さらば彼等の望み空なるか、さらずば我よく汝のことばをさとらざるか。 三一―三三
彼我に。すこやかなる心をもてよくこの事を思ひみよ、わが筆し易く、彼等の望みあだならじ 三四―三六
そは愛の火たとひこゝにおかるゝもののたらはすべきことをたゞしばしのまに滿すとも、審判さばきの頂垂れざればなり 三七―三九
またわがこのことわりを陳べし處にては、祈り、神より離れしがゆゑに、祈れど虧處おちど補はれざりき 四〇―四二
されどかく奧深き疑ひについては、まことさとりの間の光となるべき淑女汝に告ぐるにあらずば心を定むることなかれ 四三―四五
汝さとれるや否や、わがいへるはベアトリーチェのことなり、汝はこの山のいただきに、さいはひにしてほゝゑめる彼の姿をみるをえむ。 四六―四八
我。主よいそぎてゆかむ、今は我さきのごとく疲れを覺えず、また山のはやその陰を投ぐるをみよ。 四九―五一
答へて曰ふ。我等は日のある間に、我等の進むをうるかぎりすゝまむ、されど事汝の思ふところと違ふ 五二―五四
いまだ巓にいたらざるまに、汝は今山腹にかくれて汝のためにその光を碎かれざる物また歸り來るを見む 五五―五七
されど見よ、かしこにたゞひとりゐて我等のかたをながむる魂あり、かの者我等にいと近き路を教へむ。 五八―六〇
我等これが許にいたりぬ、あゝロムバルディアの魂よ、汝の姿は軒昂けだかくまたいかめしく、汝の目はおごそかにまたゆるやかに動けるよ 六一―六三
かの魂何事をもいはずして我等を行かしめ、たゞ恰もやすらふ獅子のごとく我等を見たり 六四―六六
されどヴィルジリオこれに近づき、登るにいと易きところを我等に示さむことを請へるに、その問ひに答へず 六七―六九
たゞ我等に我等の國と状態ありさまをたづねき、このときうるはしき導者マントヴァ……といひかくれば、己ひとりを世とせし魂 七〇―七二
立ちて彼のかたにむかひてそのゐし處をはなれつゝ、あゝマントヴァ人よ、我は汝のまちの者ソルデルロなりといひ、かくて二者ふたり相抱きぬ 七三―七五
あゝ屈辱のイタリアよ、憂ひの客舍、劇しき嵐の中の水夫かこなき船よ、汝は諸州くに/″\の女王にあらずして汚れの家なり 七六―七八
かのたふとき魂は、たゞ己が生れしまちの麗しき名のよばるゝをきき、かく歡びてこの處に同郷人ふるさとびとを迎へしならずや 七九―八一
しかるに今汝の中には生者しやうじや敬ひをやむる時なく、一の垣一の濠に圍まるゝもの相互あひたがひに噛むことをなす 八二―八四
さちなきものよ、岸をめぐりて海のほとりの地をたづね、後汝のふところを見よ、汝のうちに一なりとも平和を樂しむ處ありや 八五―八七
かのユスティニアーノ汝のためにくつわ調とゝのへしかど、鞍空しくば何の益あらむ、この銜なかりせば恥は却つてすくなかるべし 八八―九〇
あゝ眞心まごゝろをもて神をあがめかつチェーザレを鞍に載すべき(汝等もしよく神のことばをさとりなば)人々よ 九一―九三
汝等手綱をとれるよりこのかた、拍車によりてめらるゝことなければ、見よこの獸のいかばかりたけくなれるやを 九四―九六
あゝドイツびとアルベルトよ、汝は鞍に跨るべき者なるに、この荒き御しがたき獸を棄つ 九七―九九
ねがはくは正しき審判さばき星より汝の血の上に降り、くすしく且つ顯著あらはにて、汝の後をくる者恐れをいだくにいたらんことを 一〇〇―一〇二
そは汝も汝の父も貪焚むさぼりのためにかの地にめられ、帝國の園をその荒るゝにまかせたればなり 一〇三―一〇五
來りて見よ、思慮なき人よ、モノテッキとカッペルレッティ、モナルディとフィリッペスキを、彼等既に悲しみ此等はおそる 一〇六―一〇八
來れ、無情の者よ、來りて汝の名門のしひたげらるゝを見、これをその難より救へ、汝またサンタフィオルのいかに安全やすらかなるやをみん 一〇九―一一一
來りて汝のローマを見よ、かれ寡婦やもめとなりてひとり殘され、晝も夜も泣き叫びて、わがチェーザレよ汝何ぞ我と倶にゐざるやといふ 一一二―一一四
來りて見よ、斯民このたみの相愛することいかに深きやを、若し我等を憐れむの心汝を動かさずば、汝己が名に恥ぢんために來れ 一一五―一一七
また斯く言はんもかしこけれど、あゝいと尊きジョーヴェ、世にて我等の爲に十字架にかゝり給へる者よ、汝正しき目をほかの處にむけたまふか 一一八―一二〇
はたこは我等の全く悟る能はざる福祉さいはひのためいと深き聖旨みむねの奧に汝の設けたまふそなへなるか 一二一―一二三
そは專横の君あまねくイタリアの諸邑まち/\に滿ち、匹夫朋黨に加はりてみなマルチェルとなればなり 一二四―一二六
わがフィオレンツァよ、汝この他事あだしことをきくともこは汝に干係かゝはりなければまことに心安からむ、汝をこゝにいたらしむる汝の民は讚むべきかな 一二七―一二九
義を心に宿す者多し、されど漫りに弓を手にするなからんためその射ること遲きのみ、然るに汝の民はこれを口のはしに置く 一三〇―一三二
公共おほやけの荷を拒むもの多し、然るに汝の民は招かれざるにはやくも身を進めて我自ら負はんとさけぶ 一三三―一三五
いざ喜べ、汝しかするはうべなればなり、汝富めり、汝泰平なり、汝さとし、わがこのことばの僞りならぬは事實よくこれをあかしす 一三六―一三八
文運かの如く開け、且つ古の律法おきてをたてしアテーネもラチェデーモナも、汝にくらぶればたゞさゝやかなる治國の道を示せるのみ 一三九―
汝の律法おきての絲はこまやかなれば、汝が十月につむぐもの、十一月のなかばまで保たじ ―一四四
げに汝が汝のおぼゆる時の間に律法おきてぜに職務つとめ習俗ならはしを變へ民を新たにせること幾度いくたびぞや 一四五―一四七
汝若しよく記憶をたどりかつ光をみなば、汝は自己おのれがあたかも病める女の軟毛わたげの上にやすらふ能はず、身を左右にめぐらして 一四八―一五〇
苦痛いたみを防ぐに似たるを見む 一五一―一五三


   第七曲

ふさはしきうれしき會釋ゑしやく三度みたび四度よたびに及べる後、ソルデルしざりて汝は誰なりやといふ 一―三
登りて神のみもとにいたるを魂等未だこの山にむかはざりしさきに、オッタヴィアーンわが骨を葬りき 四―六
我はヴィルジリオなり、ほかの罪によるにあらずたゞ信仰なきによりてわれ天を失へり。導者この時斯く答ふ 七―九
ふと目の前に物あらはるればその人あやしみて、こは何なり否あらずといひ、信じてしかして疑ふことあり 一〇―一二
かの魂もまたかくのごとくなりき、かくて目を垂れ、再びうや/\しく導者に近づき、しもべの抱くところをいだきて 一三―一五
いひけるは。あゝラチオびとさかえよ――汝によりて我等の言葉その力のきはみをあらはせり――あゝわが故郷ふるさと永遠とこしへの實よ 一六―一八
我を汝に遭はしめしは抑※(二の字点、1-2-22)何の功徳何の恩惠めぐみぞや我若し汝のことばを聞くのさいはひをえば請ふ告げよ汝地獄より來れるかそは何のかこひの内よりか。 一九―二一
彼これに答ふらく。我は悲しみの王土のうちなる諸※(二の字点、1-2-22)ひとやをへてこゝに來れり、天の威力ちから我を動かしぬ、しかしてわれこれとともに行く 二二―二四
爲すによるにあらず爲さざるによりて我は汝の待望み我の後れて知るにいたれる高き日を見るをえざるなり 二五―二七
下に一の處あり、苛責のために憂きにあらねどたゞ暗く、そこにきこゆる悲しみの聲は歎息ためいきにして叫喚さけびにあらず 二八―三〇
かしこに我は、人の罪よりかれざりしさきに死の齒に噛まれし稚兒をさなごとともにあり 三一―三三
かしこに我は、三の聖なる徳を着ざれど惡を離れほかの諸※(二の字点、1-2-22)の徳を知りてすべてこれを行へる者とともにあり 三四―三六
されど汝路をしりかつ我等に示すをうべくば、請ふ我等をして淨火のまことの入口にとくいたるをえせしめよ。 三七―三九
答へて曰ふ。我等は定まれる一の場所におかるゝにあらず、のぼるも※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)めぐるも我これを許さる、われ導者となりて汝と倶に 四〇―
わが行くをうる處までゆくべし、されど見よ日は既に傾きぬ、夜登る能はざれば、我等うるはしき旅宿やどりを求めむ ―四五
右のかたなる離れし處に魂のむれあり、汝うけがはば我は汝を彼等の許に導かむ、汝彼等を知るを喜びとせざることあらじ。 四六―四八
答へて曰ふ。いかにしてこの事ありや、夜登らんとおもふ者はほかの者にさまたげらるゝかさらずば力及ばざるため自ら登る能はざるか。 四九―五一
善きソルデルロ指にて地をりていふ。見よ、このすぢをだに日入りて後は汝越えがたし 五二―五四
されどのぼり障礙しやうげとなるもの夜の闇のほかにはあらず、この闇能力ちからを奪ひて意志をさまたぐ 五五―五七
天涯晝をとぢこむる間は、汝げに闇とともにこゝをくだりまたは迷ひつゝ山の腰をめぐるをうるのみ。 五八―六〇
この時わが主驚くがごとくいひけるは。さらば請ふ我等を導き、汝の我等に喜びてとゞまるをうべしといへる處にいたれ。 六一―六三
我等少しくかしこを離れしとき、我は山の窪みてあたかも世の大溪おほたにの窪むに似たるところを見たり 六四―六六
かの魂曰ふ。かなたに山腹のみづからふところをつくるところあり、我等かしこにゆきて新たなる日を待たむ 六七―六九
忽ちけはしく忽ちたひらかなる一條の曲路我等を導いてかのあなほとりふちなかばより多く失せし處にいたらしむ 七〇―七二
金、純銀、朱、白鉛、光りてあざやかなるインドの木、碎けし眞際まぎはの新しき縁の珠も 七三―七五
※(二の字点、1-2-22)その色を比ぶれば、かの懷の草と花とに及ばざることなほ小の大に及ばざるごとくなるべし 七六―七八
自然はかしこをいろどれるのみならず、また千のかをりをもて一の奇しきわけ難きにほひを作れり 七九―八一
我見しにこゝには溪のため外部そとよりみえざりし多くの魂サルウェ・レーギーナを歌ひつゝ縁草あをくさの上また花の上に坐しゐたり 八二―八四
我等をともなへるマントヴァびといふ。たゞしばしの日全くその巣に歸るまでは、汝等我に導かれてかしこにゆくをねがふなかれ 八五―八七
汝等窪地くぼちにくだりてかの衆と倶にあらんより、この高臺パルツオにありて彼等を見なば却つてよくその姿と顏を認むるをえむ 八八―九〇
いと高き處に坐し、その責務つとめを怠りしごとくみえ、かつともの歌にあはせて口を動かすことをせざる者は 九一―九三
皇帝ロドルフォなりき、かれイタリアの傷を癒すをえたりしにその死ぬるにまかせたれば、人再びこれを生かさんとするともおそし 九四―九六
また彼を慰むるごとくみゆるは、モルタ、アルビアに、アルビア、海におくる水の流れいづる地を治めし者にて 九七―九九
名をオッタケッルロといへり、その襁褓むつきつゝまれし頃も、淫樂安逸をむさぼるその子ヴェンチェスラーオの鬚ある頃より遙に善かりき 一〇〇―一〇二
姿いとたふとき者としたしく相かたらふさまなるかの鼻の小さき者は百合の花をしをれしめつゝ逃げ走りて死したりき 一〇三―一〇五
かしこにこれのしきりに胸をうつをみよ、また彼のなげきつゝそのたなごゝろをもて頬の床となすを見よ 一〇六―一〇八
彼等はフランスの禍ひの父と舅なり、彼等彼のよこしまにして穢れたる世を送れるを知りこれがためにかく憂ひに刺さる 一〇九―一一一
身かの如く肥ゆとみえ、かつかの鼻の雄々しきともふしをあはせて歌ふ者はその腰に萬の徳の紐を纏ひき 一一二―一一四
若し彼のうしろに坐せる若き者その王位を繼ぎてながらへたりせば、この徳まことにうつはより器に傳はれるなるべし 一一五―一一七
但しほか嗣子よつぎについてはかくいひがたし、ヤーコモとフェデリーゴ今かの國を治む、いと善きものをばそのひとりだに繼がざりき 一一八―一二〇
それ人の美徳は枝を傳ひてのぼること稀なり、こはこれを與ふるもの、その己より出づるを知らしめんとてかく定めたまふによる 一二一―一二三
かの鼻の大いなる者も彼と倶にうたふピエルと同じくわがいへるところにかなふ、此故にプーリアもプロヴェンツァも今悲しみの中にあり 一二四―一二六
げにコスタンツァが今もその夫に誇ること遠くベアトリーチェ、マルゲリータの上に出づる如くに、樹は遠く種に及ばじ 一二七―一二九
簡易の一生を送れる王、イギリスのアルリーゴのかしこにひとり坐せるを見よ、かれの枝にはまされるあり 一三〇―一三二
彼等のうち地のいと低きところに坐して仰ぎながむる者は侯爵マルケーゼグイリエルモなり、彼の爲なりきアレッサンドリアとそのいくさとが 一三三―一三五
モンフェルラートとカナヴェーゼとを歎かしむるは。 一三六―一三八


   第八曲

なつかしき友に別れを告げし日、海行く者の思ひ歸りて心やはらぎ、また暮るゝ日をいたむがごとく 一―三
鐘遠くより聞ゆれば、はじめて異郷の旅にある人、愛に刺さるゝ時とはなりぬ
我は何の聲をもきかず、一の魂の立ちて手をもて請ひて、耳をかたむけしむるを見たり 七―九
この者手を合せてこれをあげ、目を東のかたにそゝぎぬ、そのさま神にむかひて、われ思ひをほかに移さずといふに似たりき 一〇―一二
テー・ルーキス・アンテその口よりいづるに、信念あらはれ調しらべうるはしくして悉くわが心を奪へり 一三―一五
かくて全衆これに和し、目を天球にむかはしめつゝ、聲うるはしく信心深くこの聖歌をうたひをはりき 一六―一八
讀者よ、いざ目を鋭くしてまことを見よ、そは被物おほひはげに今いと薄く、内部うちをうかがふこと容易なればなり 一九―二一
我はかのきはたかき者のむれの、やがて色あをざめ且つへりくだり、何者をか待つごとくにもだして仰ぎながむるを見き 二二―二四
またさきの削りとられし二の焔のつるぎをもち、高き處よりいでて下り來れるふたりの天使を見き 二五―二七
そのころもは、今えいでし若葉のごとく縁なりき、縁の羽に打たれあふられて彼等の後方うしろに曳かれたり 二八―三〇
そのひとりは我等より少しく上方うへにとゞまり、ひとりは對面むかひの岸にくだり、かくして民をその間にはさめり 三一―
我は彼等のかうべなる黄金こがねの髮をみとめしかど、その顏にむかへば、あたかも度を超ゆるによりて能力ちから亂るゝごとくわが目くらみぬ ―三六
ソルデルロ曰ふ。彼等ふたりは溪をまもりて蛇をふせがんためマリアのふところより來れるなり、この蛇たゞちにあらはれむ。 三七―三九
我これを聞きてそのいづれの路よりなるを知らざればあたりをみまはし、わが冷えわたる身をかの頼もしき背に近寄せぬ 四〇―四二
ソルデルロまた。いざ今より下りてかの大いなる魂のむれに入り、彼等に物言はむ、彼等はいたく汝等を見るを悦ぶなるべし。 四三―四五
下ることたゞ三歩ばかりにて我はやくも底につきしに、こゝにひとり、わが誰なるを思出さんと願ふ如く、たゞ我をのみ見る者ありき 四六―四八
はや次第に空の暮行く時なりしかど、その暗さははじめかくれたりしものを彼の目とわが目の間にあらはさざるほどにあらざりき 四九―五一
彼わがかたに進み我彼の方に進めり、貴き國司ニーンよ、汝が罪人つみびとの中にあらざるを見て、わが喜べることいかばかりぞや 五二―五四
我等うるはしき會釋ゑしやくの數をつくせしとき、彼問ひていふ。汝はるかに水を渡りて山の麓に來れるよりこの方いくばくの時をか經たる。 五五―五七
我彼に曰ふ。あゝ悲しみの地を過ぎてわが來れるは今朝けさの事なり、我は第一の生をうく、かく旅して第二の生をえんとすれども。 五八―六〇
わが答を聞けるとき、俄に惑へる人々のごとく、ソルデルロもかれもあとにしざりぬ 六一―六三
そのひとりはヴィルジリオに向へり、またひとり彼處かしこに坐せる者にむかひ、起きよクルラード、來りて神の惠深き聖旨みむねより出し事を見よと叫び 六四―六六
後我にむかひ。わたるべき處なきまで己が最初はじめ故由ゆゑよしめたまふものに汝の負ふ稀有けうの感謝を指して請ふ 六七―六九
大海おほうみのかなたに歸らば、わがジョヴァンナに告げて、罪なき者の祈り聽かるゝところにわがために聲をあげしめよ 七〇―七二
おもふに彼の母はその白き※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かしらぎぬを變へしよりこのかた(あはれ再びこれを望まざるをえず)また我を愛せざるなり 七三―七五
人このためしをみてげにたやすくさとるをえむ、女の愛なるものは見ること觸るゝことによりて屡※(二の字点、1-2-22)燃やされずば幾何いくばくも保つ能はざるを 七六―七八
ミラーノびとを戰ひのにはにみちびく蝮蛇まむしも、ガルルーラの鷄のごとくはかの女の墓を飾らじ。 七九―八一
ほどよく心の中に燃ゆるたゞしきあつき思ひの印を姿にしてかれ斯くいへり 八二―八四
わが飽かざる目は天にのみ、あたかも軸いとちかき輪のごとく星のめぐりのいとおそき處にのみ行けり 八五―八七
わが導者。子よ何をか仰ぎながむるや。我彼に。かの三の燈火ともしびなり、南極これが爲にこと/″\く燃ゆ。 八八―九〇
彼我に。今朝けさ汝が見たる四のあざやかなる星かなたに沈み、此等は彼等のありし處にのぼれるなり。 九一―九三
彼語りゐたるとき、ソルデルロ彼をひきよせ、我等の敵を見よといひて指ざしてかなたをみせしむ 九四―九六
かの小さき溪のかこひなきところに一の蛇ゐたり、こは昔エーヴァににが食物くひものを與へしものとおそらくは相似たりしなるべし 九七―九九
身をなめらかならしむる獸のごとくしば/\頭を背にめぐらしてねぶりつゝ草と花とを分けてかの禍ひのひもぬ 一〇〇―一〇二
天の鷹の飛立ちしさまは我見ざればいひがたし、されど我は彼も此も倶に飛びゐたるをさだかに見たり 一〇三―
縁の翼そらを裂く響きをききて蛇逃げさりぬ、また天使等は同じ早さに舞ひのぼりつゝその定まれる處に歸れり ―一〇八
國司に呼ばれてその傍にゐたる魂は、この爭ひのありし間、片時かたときも瞳を我より離すことなかりき 一〇九―一一一
さていふ。願はくは汝を高きに導く燈火ともしび、汝の自由の意志のうちにて、かの※藥えうやく の巓に到るまで盡きざるばかりの多くの蝋をえんことを 一一二―
汝若しヴァル・ディ・マーグラとそのあたりの地のまことの消息おとづれをしらば請ふ我に告げよ、我は昔かしこにて大いなる者なりき ―一一七
われ名をクルラード・マラスピーナといへり、かのらうにあらずしてそのすゑなり、己が宗族うからにそゝげるわが愛今こゝにきよめらる。 一一八―一二〇
我彼に曰ふ。我は未だ汝等の國を過ぎたることなし、されどエウロパ全洲の中苟も人住む處にそのきこえなきことあらんや 一二一―一二三
汝等の家をたかむる美名よきなは、君をあらはし土地をあらはし、かしこにゆけることなきものもまた能くこれを知る 一二四―一二六
我汝に誓ひて曰はむ(願はくはわれ高きに達するをえんことを)、汝等の尊き一族やからは財布とつるぎにおけるほまれの飾を失はず 一二七―一二九
習慣ならはしと自然これに特殊の力を與ふるがゆゑに、罪あるかしら世をぐれどもひとり直く歩みてよこしまの道をかろんず。 一三〇―一三二
彼。いざゆけ、牡羊をひつじ四の足をもて蔽ひ跨がる臥床ふしどの中に、日の七度なゝたびやすまざるまに 一三三―一三五
ねんごろなるこの意見おもひは、人のことばよりも大いなる釘をもて汝のかうべ正中たゞなかに釘付けらるべし 一三六―一三八
審判さばき進路ゆくて支へられずば。 一三九―一四一


   第九曲

年へしティトネのそばめそのうるはしき友のかひなをはなれてはや東のうてなしらみ 一―三
そのひたひは尾をもて人を撃つ冷やかなる生物いきものかたどれる多くのたまに輝けり 四―六
また我等のゐたる處にては、夜はそののぼりの二歩を終へ、第三歩もはやその翼を下方に枉げたり 七―九
このとき我はアダモのゆづりを受くるによりて睡りに勝たれ、我等五者いつたりみな坐しゐたりし草の上に臥しぬ 一〇―一二
そのかみの憂ひを憶ひ起すなるべし可憐いとほしの燕朝近く悲しき歌をうたひいで 一三―一五
また我等の心、肉を離るゝこと遠く思にとらはるゝこと少なくして、その夢あたかもしんに通ずるごとくなる時
我は夢に、黄金こがねの羽ある一羽の鷲の、翼をひらきてそらかゝり、降らんとするをみきとおぼえぬ 一九―二一
また我はガニメーデがさらはれて神集かんづとひにゆき、そのともあとに殘されしところにゐたりとおぼえぬ 二二―二四
我ひそかに思へらく、この鳥恐らくはその習ひによりて餌をこゝにのみ求むるならむ、恐らくはこれをほかの處に得てもち舞上まひのぼるを卑しむならむと 二五―二七
さてしばらく※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)めぐりて後、このもの電光いなづまのごとく恐ろしく下り來りて我をとらへ、火にいたるまで昇るに似たりき 二八―三〇
鳥も我もかの處にて燃ゆとみえたり、しかして夢の中なる火燒くことはげしかりければわが睡りおのづから破れぬ 三一―三三
かのアキルレが、目覺めてそのあたりを見、何處いづこにあるやをしらずして身をゆるがせしさまといふとも 三四―三六
(こはその母これをキロネより奪ひ、己がかひなにねむれる間にシロに移せし時の事なり、その後かのギリシアびとこれにかしこを離れしむ) 三七―三九
ねむり顏よりげしときわがうちふるひしさまに異ならじ、我はあたかも怖れのため氷に變る人の如くに色あをざめぬ 四〇―四二
わが傍には我を慰むる者のみゐたり、日は今高きこと二時ふたときにあまれり、またわが顏は海のかたにむかひゐたりき 四三―四五
わが主曰ふ。おそるゝなかれ、心を固うせよ、よき時來りたればなり、汝の力をみなあらはしておさふるなかれ 四六―四八
汝は今淨火に着けり、その周邊まはりをかこむ岩をみよ、岩分るゝとみゆる處にその入口あるをみよ 四九―五一
今よりしばさき、晝にさきだつ黎明あけぼのの頃、汝の魂かの溪を飾る花の上にて汝の中に眠りゐたるとき 五二―五四
ひとりの淑女來りて曰ふ、我はルーチアなり、我にこの眠れる者を齎らすを許せ、我斯くしてその路を易からしめんと 五五―五七
ソルデルとほかの貴き魂は殘れり、淑女汝を携へて日の出づるとともに登り來り、我はその歩履あゆみに從へり 五八―六〇
彼汝をこゝに置きたり、その美しき目はまづ我にかの開きたる入口を示せり、しかして後彼も睡りもともに去りにき。 六一―六三
まことあらはるゝに及び、疑ひ解けて心やすんじ、恐れを慰めに變ふる人のごとく 六四―六六
我は變りぬ、わが思ひわづらふことなきをみしとき、導者岩に沿ひて登り、我もつづいて高處たかみにむかへり 六七―六九
讀者よ、汝よくわが詩材のいかに高くなれるやを知る、されば我さらに多くのわざをもてこれを支へ固むるともあやしむなかれ 七〇―七二
我等近づき、一の場所にいたれるとき、さきにわが目に壁を分つわれめに似たる一のひまありとみえしところに 七三―七五
我は一の門と門にいたらんためその下に設けし色異なれる三のきだと未だ物言はざりしひとりの門守かどもりを見たり 七六―七八
またわが目いよ/\かなたを望むをうるに從ひ、我は彼が最高ききだの上に坐せるをみたり、されどその顏をばわれみるに堪へざりき 七九―八一
彼手に一の白刃しらはを持てり、この物光をうつしてつよく我等の方に輝き、我屡※(二の字点、1-2-22)目を擧ぐれども益なかりき 八二―八四
彼曰ふ。汝等何を欲するや、その處にてこれをいへ、導者いづこにかある、漫りに登り來りて自ら禍ひを招く勿れ。 八五―八七
わが師彼に答へて曰ふ。此等の事にくはしき天の淑女今我等に告げて、かしこにゆけそこに門ありといへるなり。 八八―九〇
門守かどもりねんごろに答へていふ。願はくは彼さいはひの中に汝等の歩みを導かんことを、さらば汝等我等のきだまで進み來れ。 九一―九三
我等かなたにすゝみて第一のきだのもとにいたれり、こは白き大理石にていと清くつややかなれば、わが姿そのまゝこれにうつりてみえき 九四―九六
第二の段は色ペルソより濃き、あらき燒石にて縱にも横にも罅裂ひゞありき 九七―九九
上にありて堅き第三の段は斑岩はんがんとみえ、脈より迸る血汐のごとく赤くきらめけり 一〇〇―一〇二
神の使者つかひ兩足もろあしをこの上に載せ、金剛石とみゆる閾のうへに坐しゐたり 一〇三―一〇五
この三の段をわが導者は我をきてよろこびて登らしめ、汝うやうやしく彼に※(「戸の旧字/炯のつくり」、第3水準1-84-68)とざしをあけんことを請へといふ 一〇六―一〇八
我まづ三度みたびわが胸を打ち、後つゝしみて聖なる足の元にひれふし、慈悲をもてわがために開かんことを彼に乞へり 一〇九―一一一
彼七のつるぎさきにてわが額にしるし、汝内に入らば此等の疵を洗へといふ 一一二―一一四
灰または掘上ほりあげし乾ける土はその衣と色等しかるべし、彼はかゝる衣の下より二のかぎ引出ひきいだせり 一一五―一一七
その一は金、一は銀なりき、初め白をもて次に黄をもて、かれ門をわが願へるごとくにひらき 一一八―一二〇
さて我等にいひけるは。この鑰のうち一若し缺くる處ありてほどよく※(「戸の旧字/炯のつくり」、第3水準1-84-68)とざしなかにめぐらざればこの入口ひらかざるなり 一二一―一二三
一はことに價たふとし、されど一はむすびほぐすものなるがゆゑにあくるにあたりて極めて大なるわざさとりもとむ 一二四―一二六
我此等をピエルより預かれり、彼我に告げて、民わが足元にひれふさば、むしろ誤りて開くとも誤りてぢおく勿れといへり。 一二七―一二九
かくて聖なる門の扉を押していひけるは。いざ入るべし、されど汝等わが誡めを聞け、すべて後方うしろを見る者はそとに歸らむ。 一三〇―一三二
聖なる門のなりよき強き金屬かね肘金ひぢがね肘壺ひぢつぼの中にまはれるときにくらぶれば 一三三―一三五
かの良きメテルロを奪はれし時のタルペーアも(この後これがために瘠す)その叫喚わめきあらがへることなほこれに若かざりしなるべし 一三六―一三八
我は最初はじめの響きに心をとめてかなたにむかひ、うるはしき調しらべにまじれる聲のうちにテー・デウム・ラウダームスを聞くとおぼえぬ 一三九―一四一
わが耳にきこゆるものは、あたかも人々立ちてがくうつはにあはせてうたひその詞きこゆることあり 一四二―一四四
きこえざることある時の響きに似たりき 一四五―一四七


   第十曲

我等門の閾の内に入りし後(魂の惡き愛ゆがめる道をなほく見えしむるためこの門開かるゝこと稀なり) 一―三
我は響きをききてその再び閉されしことを知りたり、我若し目をこれにむけたらんには、いかなるわびも豈この咎にふさはしからんや 四―六
我等は右に左に紆行うねりてそのさまあたかも寄せては返す波に似たる一の石の裂目さけめを登れり 七―九
わが導者曰ふ。我等は今ふちの逼らざるところを求めてかなたこなたに身を寄するため少しくわざを用ゐざるをえず。 一〇―一二
この事我等の歩みをおそくし、虧けたる月安息やすみを求めてその床に歸れる後 一三―一五
我等はじめてかの針眼はりのめを出づるをえたり、されど山後方しりへにかたよれる高き處にいたりて、我等自由に且つゆるやかになれるとき 一六―一八
われ疲れ、彼も我も定かに路をしらざれば、われらは荒野あらのの道よりさびしき一の平地ひらちにとゞまれり 一九―二一
空處にとなれるそのへりと、たえず聳ゆる高き岸のもととの間は、人の身長みのたけたびはかるに等しかるべし 二二―二四
しかしてわが目その翼をはこぶをうるかぎり右にても左にてもこのうてなすべてかくの如く見えき 二五―二七
我等の足未だその上を踏まざるさきに、我は垂直にして登るあたはざるまはりの岸の 二八―三〇
純白の大理石より成り、かのポリクレートのみならず、自然もなほ恥づるばかりの彫刻ほりものをもて飾らるゝをみたり 三一―三三
天を開きてその長きいましめを解きし平和(許多あまたの年の間、世の人泣いてこれを求めき)を告げしらせんとて地に臨める天使の 三四―三六
うるはしき姿との處にきざまれ、ものいはぬ像と見えざるまで眞に逼りて我等の前にあらはれぬ 三七―三九
誰か彼がさちあれといひゐたるを疑はむ、そは尊き愛を開かんとて鑰を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはせる女のかたちかしこにあらはされたればなり 四〇―四二
しかしてはしため見よといふ言葉、あたかも蝋に印影かたさるゝごとくあざやかにその姿にられき 四三―四五
汝思ひを一の處にのみ寄する勿れ。人の心臟こゝろのあるかたに我をおきたるうるはしき師斯くいへり 四六―四八
我即ち目をめぐらして見しに、マリアの後方うしろ、我を導ける者のゐたるかなたに 四九―五一
岩に彫りたるほかの物語ありき、このゆゑに我はこれをわが目のさきにあらしめんとてヴィルジリオを超えて近づきぬ 五二―五四
そこには同じ大理石の上に、かの聖なるはこを曳きゐたる事と牛ときざまれき(人この事によりてゆだねられざる職務つとめを恐る) 五五―五七
その前には七の組に分たれし民見えたり、彼等はみなわが官能の二のうち、一に否と一に然り歌ふといはしむ 五八―六〇
これと同じく、わが目と鼻の間には、かしこにゑりたる薫物たきものの煙について然と否との爭ひありき 六一―六三
かしこに謙遜へりくだれる聖歌の作者きぬひき※(「寨」の「木」に代えて「衣」、第3水準1-91-84)かゝげて亂れ舞ひつゝ恩惠めぐみうつはにさきだちゐたり、この時彼は王者わうじやに餘りて足らざりき 六四―六六
むかひかたには大いなる殿とのの窓のほとりにゑがかれしミコル、蔑視さげすみ悲しむ女の如くこれをながめぬ 六七―六九
我わが立てる處をはなれ、ミコルの後方うしろに白く光れる一の物語をわが近くにみんとて足をはこべば 七〇―七二
こゝには己が徳によりてグレゴーリオを動かしこれに大いなる勝利かちをえしめしローマの君の榮光高き事蹟を寫せり 七三―七五
わが斯くいへるは皇帝トラヤーノの事なり、ひとりの寡婦やもめ涙と憂ひを姿にあらはし、その轡のほとりに立てり 七六―七八
君のまはりには多くの騎馬武者むらがりて押しあふごとく、またその上には黄金こがねの中なる鷲風にたゞよふごとく見えたり 七九―八一
すべてこれらの者のなかにてかのさちなき女、主よわがためにわが子の仇を報いたまへ、彼死にてわが心いたくいたむといひ 八二―八四
彼はこれに答へて、まづわが歸るまで待てといふに似たりき、また女、あたかも歎きのために忍ぶあたはざる人の如く、我主よ 八五―八七
若し歸り給はずばといひ、彼、我に代る者汝の爲に報いんといひ、女又、汝己の爲すべき善を思はずば人善を爲すとも汝に何のかゝはり在らん 八八―
といひ、彼聞きて、今は心を安んぜよ、我わが義務つとめを果して後行かざるべからず、正義これを求め、慈悲我をむといふに似たりき ―九三
未だ新しき物を見しことなきもの、この見るをうべき詞を造りたまへるなり、こは世にあらざるがゆゑに我等にめづらし 九四―九六
かく大いなる謙遜を表はしその造主つくりぬしの故によりていよ/\たふときこれらのかたちをみ、われ心を喜ばしゐたるに 九七―九九
詩人さゝやきていふ。見よこなたに多くの民あり、されどそのあゆみは遲し、彼等われらに高ききざはしにいたる路を教へむ。 一〇〇―一〇二
ながむることにのみれるわが目も、その好む習ひなるめづらしき物をみんとて、たゞちに彼のかたにむかへり 一〇三―一〇五
讀者よ、げに我は汝が神何によりて負債おひめを償はせたまふやを聞きて己の善き志より離るゝを願ふにあらず 一〇六―一〇八
心を苛責の状態ありさまにとむるなかれ、その成行なりゆきを思へ、そのいかにあしくとも大なる審判さばきの後まで續かざることを思へ 一〇九―一一一
我曰ふ。師よ、こなたに動くものをみるに姿人の如くならず、されどわが目迷ひて我その何なるを知りがたし。 一一二―一一四
彼我に。苛責の重荷おもに彼等を地にかゞましむ、されば彼等の事につきわが目もはじめ爭へるなり 一一五―一一七
されど汝よくかしこをみ、かの石の下になりて來るものをみわくべし、汝は既におのおののいかになやむやを認むるをえむ。 一一八―一二〇
※(二の字点、1-2-22)たかぶる基督教徒クリステイアンよ、さちなき弱れる人々よ、汝等精神たましひの視力衰へ、後退あとじさりして進むとなす 一二一―一二三
知らずや人は、はだかのまゝ飛びゆきて審判さばきをうくる靈體の蝶を造らんとて生れいでし蟲なることを 一二四―一二六
汝等は羽ある蟲のまつたからず、這ふ蟲の未だ成り終らざるものに似たるに、汝等の精神たましひ何すれぞ高く浮び出づるや 一二七―一二九
天井または屋根を支ふるため肱木ひぢきに代りてをりふし一の像の膝を胸にあて 一三〇―一三二
まことならざる苦しみをもて眞の苦しみを見る人に起さしむることあり、われ心をとめて彼等をみしにそのさままた斯の如くなりき 一三三―一三五
但し背に負ふ物の多少に從ひ、彼等の身を縮むること一樣ならず、しかして最も忍耐強しのびづよしと見ゆる者すら 一三六―一三八
なほ泣きつゝ、我堪へがたしといふに似たりき 一三九―一四一


   第十一曲

限らるゝにあらず、高き處なる最初はじめ御業みわざをいと潔く愛したまふがゆゑに天にいます我等の父よ 一―三
願はくは萬物よろづのものうるはしき聖息みいきに感謝するのふさはしきをおもひ、聖名みな聖能みちからめたたへんことを 四―六
爾國みくにの平和を我等のもとに來らせたまへ、そは若し來らずば、我等こゝろばせを盡すとも自ら到るあたはざればなり 七―九
天使等みつかひたちオザンナを歌ひつゝ己が心を御前みまへにさゝげまつるなれば、人またその心をかくのごとくにさゝげんことを 一〇―一二
今日けふも我等に日毎のマンナを與へたまへ、これなくば、この曠野あらのをわけて進まんとて、最もつとむる者も退く 一三―一五
我等のうけしそこなひをわれら誰にも赦すごとく、汝も我等の功徳くどくを見たまはず、聖惠みめぐみによりて赦したまへ 一六―一八
いとよわき我等の力を年へし敵のこゝろみにあはせず、巧みにこれをそゝのかす者よりねがはくは救ひ出したまへ 一九―二一
この最後をはりの事は、愛する主よ、我等ぎまつるに及ばざれども、かくするはげに己の爲にあらずしてあとに殘れる者のためなり。 二二―二四
斯く己と我等のためにさち多き旅を祈りつゝ、これらの魂は、人のをりふし夢に負ふごとき重荷おもにを負ひ 二五―二七
等しからざる苦しみをうけ、みな疲れ、世の濃霧こききりを淨めつゝ第一のうてなの上をめぐれり 二八―三〇
彼等もし我等のためにかしこにたえずさいはひを祈らば、己が願ひに良根よきねを持つ者、こゝに彼等のために請ひまた爲しうべき事いかばかりぞや 三一―三三
我等は彼等が清く輕くなりて諸※(二の字点、1-2-22)の星の輪にいたるをえんため、よく彼等を助けて、そのこゝよりもたらせし汚染しみを洗はしむべし 三四―三六
あゝ願はくは正義と慈悲速かに汝等の重荷おもにを取去り、汝等翼を動かして己が好むがまゝに身を上ぐるをえんことを 三七―三九
請ふいづれの道のきざはしにいとちかきやを告げよ、またもしこみち一のみならずば、けはしからざるものを教へよ 四〇―四二
そは我にともなふこの者、アダモの肉のころも重荷おもにあるによりて、心いそげど登ることおそければなり。 四三―四五
我を導く者斯くいへるとき、彼等の答への誰より出でしやはあきらかならざりしかど 四六―四八
その言にいふ。岸を傳ひて我等とともに右によ、さらば汝等は生くる人の登るをうべきこみちを見ん 四九―五一
我若しわが傲慢たかぶりうなじめ、たえずわが顏を垂れしむるこの石に妨げれずば 五二―五四
名は聞かざれど今も生くるその者に目をとめ、わが彼を知るや否やをみ、この荷のために我を憐ましむべきを 五五―五七
我はラチオの者にて、一人ひとりの大いなるトスカーナびとより生れぬ、グイリエルモ・アルドブランデスコはわが父なりき、この名汝等の間に 五八―
聞えしことありや我知らず、わが父祖の古き血とむべきわざ我を僭越ならしめ、我は母の同じきをおもはずして ―六三
何人をもいたく侮りしかばそのために死しぬ、シエーナびとこれを知り、カムパニヤティーコの稚兒をさなごもまたこぞりてこれをしる 六四―六六
我はオムベルトなり、たゞ我にのみ傲慢たかぶり害をなすにあらず、またわが凡ての宗族うからをば禍ひの中にひきいれぬ 六七―六九
神の聖心みこゝろやはらぐ日までわれ此罪のためにこゝにこの重荷を負ひ、生者しやうじやの間に爲さざりしことを死者の間になさざるべからず。 七〇―七二
我は聞きつゝかうべを垂れぬ、かれらのひとり(語れる者にあらず)そのわづらはしき重荷の下にて身をゆがめ 七三―七五
我を見て誰なるやを知り、彼等と倶に全くかゞみて歩める我に辛うじて目を注ぎつゝ我を呼べり 七六―七八
我彼に曰ふ。あゝ汝はアゴッビオのほまれ巴里パリージにて色彩しきさいとなへらるゝわざの譽なるオデリジならずや。 七九―八一
彼曰ふ。兄弟よ、ボローニアびとフランコの描けるもののはなやかなるには若かじ、彼今すべてのほまれをうく、我のうくるは一部のみ 八二―八四
わが生ける間は我しきりに人をしのがんことをねがひ、心これにのみむかへるが故に、げにかくゆづるあたはざりしなるべし 八五―八七
我等こゝにかゝる傲慢たかぶり負債おひめを償ふ、もし罪を犯すをうるときわれ神に歸らざりせば、今もこの處にあらざるならむ 八八―九〇
あゝ人力のさかえむなし、衰へる世の來るにあはずばそのいたゞきの縁いつまでか殘らむ 九一―九三
繪にてはチマーブエ、覇を保たんとおもへるに、今はジオットの呼聲よびごゑ高く、彼の美名よきなかすかになりぬ 九四―九六
また斯の如く一のグイード他のグイードより我等の言語ことばの榮光を奪へり、しかしてこの二者ふたりを巣より逐ふ者恐らくは生れ出たるなるべし 九七―九九
夫れ浮世うきよ名聞きこえは今此方こなたに吹き今彼方かなたに吹き、その處を變ふるによりて名を變ふる風の一息ひといきに外ならず 一〇〇―一〇二
汝たとひ年へし肉を離るゝため、パッポ、ディンディを棄てざるさきに死ぬるよりは多く世にしらるとも 一〇三―一〇五
千年ちとせに亙らむや、しかも千年を永劫に較ぶればその間の短きこと一のまたゝきをいとおそくめぐる天に較ぶるより甚し 一〇六―
路をきざみてわが前をゆく者はかつてその名をあまねくトスカーナに響かせき、しかるに今はシエーナにても(その頃たかぶり今けがるゝフィレンツェの劇しきいかり亡ぼされし時彼はかしこの君なりき)殆んど彼のことをさゝやく人なし ―一一四
汝等の名は草の色のあらはれてまたきゆるに似たり、しかして草をやはらかに地よりいでしむるものまたその色をうつろはす。 一一五―一一七
我彼に。汝のまことことば善き謙遜をわが心にそゝぎ、汝わが大いなるほこりをしづむ、されど汝が今語れるは誰の事ぞや。 一一八―一二〇
答へて曰ふ。プロヴェンツァン・サルヴァーニなり、彼心驕りてシエーナを悉くその手に握らんとせるがゆゑにこゝにあり 一二一―一二三
彼は死にしより以來このかたかくのごとく歩みたり、また歩みてやすらふことなし、凡て世にきものあまりにふとき者かゝる金錢かねを納めてあがなひしろとす。 一二四―一二六
我。生命いのちの終り近づくまで悔ゆることをせざりし靈かの低き處に殘り、善き祈りの助けによらでは 一二七―
そのよはひに等しき時過ぐるまで、こゝに登るあたはずば、彼何ぞかく來るを許されしや。 ―一三二
彼曰ふ。彼榮達を極めし頃、一切の恥を棄て、自ら求めてシエーナのカムポにとゞまり 一三三―一三五
その友をカルロのひとやの中にうくる苦しみの中より救ひいださんとて、己が全身をかしこに震はしむるにいたれり 一三六―一三八
我またいはじ、我わがことばの暗きを知る、されど少時しばらくせば汝の隣人となりびと等その爲すところによりて汝にこれをさとるをえしめむ 一三九―一四一
このおこなひなりき彼のためにかの幽閉を解きたるものは。 一四二―一四四


   第十二曲

我はかの重荷を負へる魂と、あたかもくびきをつけてゆく二匹の牡牛のごとく並びて、うるはしき師の許したまふ間歩めり 一―三
されど師が、彼をあとに殘して行け、こゝにては人各※(二の字点、1-2-22)帆と櫂をもてその力のかぎり船を進むべしといへるとき 四―六
我は行歩あゆみ要求もとめに從ひ再び身をなほくせり、たゞわが思ひはもとのごとく屈みてかつ低かりき 七―九
我既に進み、よろこびてわが師の足にしたがひ、彼も我も既に身のいかに輕きやをあらはしゐたるに 一〇―一二
彼我に曰ふ。目を下にむけよ、道をたのしからしめむため、汝の足を載するゆかを見るべし。 一三―一五
められし者の思出おもひでにとて、その上なる平地ひらちの墓に、ありし昔の姿きざまれ 一六―一八
たゞ有情うじやうの者をのみ蹴る記憶のはりの痛みによりてしば/\涙を流さしむることあり 一九―二一
我見しに、山より突出つきいでて路を成せるかの處みなまた斯の如く、かたちをもて飾られき、されどわざにいたりては巧みなることその比に非ず 二二―二四
我は一側かたがはに、萬物よろづのもののうち最も尊く造られし者が天より電光いなづまのごとく墜下おちくだるを見き 二五―二七
また一側に、ブリアレオが、天の矢にあたり、死にひやされて重く地に伏せるを見き 二八―三〇
我はティムプレオを見き、我はパルラーデとマルテを見き、彼等猶武器をとりその父の身邊まはりにゐて巨人等の切放たれしからだ凝視みつむ 三一―三三
我はネムブロットが、あたかも惑へるごとく、かの大いなる建物たてもののほとりに、己と共にセンナールにてたかぶれる民をながむるをみき 三四―三六
あゝニオベよ、殺されし汝の子七人なゝたりと七人の間に彫られし汝の姿を路にみしときわが目はいかにうれはしかりしよ 三四―三六
あゝサウルよ、汝の己がつるぎに伏してジェルボエ(この山この後雨露あめつゆをしらざりき)に死せるさまさながらにこゝに見ゆ 四〇―四二
あゝ狂へるアラーニエよ、我また汝が既になかば蜘蛛となり、さちなく織りたる織物の截餘きれの上にて悲しむを見き 四三―四五
あゝロボアムよ、こゝにては汝の姿も、はやおびやかすあたはじとみえ、未だ人に追はれざるにいたく恐れて車を走らす 四六―四八
硬き鋪石しきいしはまたアルメオンが、かの不吉なるかざりの價のたふとさをその母にしらしめしさまを示せり 四九―五一
またセンナケリプをその子等神宮みやの中にて襲ひ、その死するや、これをかしこに殘して去れるさまを示せり 五二―五四
またタミーリの行へる殘害そこなひむごほふりを示せり――この時彼チロにいふ、汝血に渇きたりき、我汝に血を滿さんと 五五―五七
またオロフェルネの死せるとき、アッシーリアびとの敗れ走れるさまと殺されし者の遺物かたみを示せり 五八―六〇
我は灰となりいはやとなれるトロイアを見き、あゝイーリオンよ、かしこにみえし彫物ほりものかたちは汝のいかに低くせられ衰へたるやを示せるよ 六一―六三
すぐるゝ才ある者といふとも誰とて驚かざるはなきかげすぢとをあらはせるは、げにいかなる畫筆ゑふでまたは墨筆すみふでの妙手ぞや 六四―六六
死者は死するに生者は生くるに異ならず、まのあたり見し人なりとて、わがかゞみて歩める間に踏みし凡ての事柄を我よりよくは見ざりしなるべし 六七―六九
エーヴァの子等よいざ誇れ、汝等かうべを高うして行き、己が禍ひの路を見んとて目をひくく垂るゝことなかれ 七〇―七二
つなぎはなれぬわが魂のさとれるよりも、我等はなほ多く山をめぐり、日はさらに多くその道をゆきしとき 七三―七五
常に心を用ゐて先に進めるものいひけるは。かうべが擧げよ、時足らざればかく思ひに耽りてゆきがたし 七六―七八
見よかなたにひとりの天使ありて我等のもとに來らんとす、見よ第六の侍婢はしための、晝につかふること終りて歸るを 七九―八一
うやまひをもて汝の姿容すがたかたちを飾れ、さらば天使よろこびて我等を上に導かむ、この日再びあしたとならざることをおもへ。 八二―八四
我は時を失ふなかれとの彼の誡めに慣れたれば、彼のこの事について語るところ我に明かならざるなかりき 八五―八七
美しき者こなたに來れり、そのころもは白く、顏はさながらまたゝく朝の星のごとし 八八―九〇
かひなをひらきまた羽をひらきていふ。來れ、この近方ちかくきざはしあり、しかして汝等今より後は登り易し。 九一―九三
それ來りてこの報知しらせを聞く者甚だまれなり、高く飛ばんために生れし人よ、汝等すこしの風にあひてかく墜ちるは何故ぞや 九四―九六
彼我等を岩の截られたる處にみちびき、こゝに羽をもてわが額を打ちて後、我にのぼりの安らかなるべきことを約せり 九七―九九
ルバコンテの上方かみてに、めでたく治まるまちをみおろす寺ある山に登らんため、右にあたりて 一〇〇―一〇二
のぼりの瞼しさきだ(こは文書ふみ樽板たるいたの安全なりし世に造られき)に破らる 一〇三―一〇五
こゝにても次の圓よりいと急に垂るゝ岸、かゝる手段てだてによりてゆるまりぬ、されど右にも左にも身は高き石に觸る 一〇六―一〇八
我等かしこにむかへるとき、聲ありて、靈の貧しき者は福なりと歌へり、そのさま詞をもてあらはすをえじ 一〇九―一一一
あゝこれらのこみちの地獄のそれと異なることいかばかりぞや、こゝにては入る者歌に伴はれ、かしこにては恐ろしき歎きの聲にともなはる 一一二―一一四
我等既に聖なるきだを踏みて登れり、また我はさきに平地ひらちにありしときより身のはるかに輕きを覺えき 一一五―一一七
是に於てか我。師よ告げよ、何の重き物我より取られしや、我行けども殆んど少しも疲勞つかれを感ぜず。 一一八―一二〇
答へて曰ふ。消ゆるばかりになりてなほ汝の顏に現れる、その一のごとく全く削り去らるゝ時は 一二一―一二三
汝の足善き願ひに勝たるゝがゆゑに疲勞つかれをしらざるのみならず上方うへに運ばるゝをよろこぶにいたらむ。 一二四―一二六
頭に物を載せてあゆみ自らこれを知らざる人、ほかの人々の素振そぶりをみてはじめてあやしみの心をおこせば 一二七―一二九
手は疑ひをはらさんため彼を助けさぐり得て、目の果し能はざるつとめを行ふ、この時わが爲せることまたかゝる人に似たりき
我はわがひらける右手めての指によりて、かの鑰を持つもののわが額にきざめる文字たゞ六となれるをしりぬ 一三三―一三五
導者これをみて微笑ほゝゑみたまへり


   第十三曲

我等きざはしの頂にいたれば、登りて罪を淨むる山、こゝにふたゝび截りとられ 一―三
一のうてなをかを卷くこと第一の圈の如し、たゞ異なるはその弧線アルコのいよ/\はやくまがるのみ 四―六
こゝにはかたあやもみえず、岸も路もなめらかにみえて薄黒き石の色のみあらはる 七―九
詩人曰ふ。我等路を尋ねんためこゝにて民を待たば、我は我等の選ぶことおそきに過ぐるあらんを恐る。 一〇―一二
かくて目を凝らして日を仰ぎ、身をその右の足に支へ、左のわきをめぐらして 一三―
いふ。あゝ麗しき光よ、汝に頼恃よりたのみてこの新らしき路に就く、願はくは汝我等を導け、そは導く者なくば我等この内に入るをえざればなり ―一八
汝世をあたゝめ、汝その上に照る、若し故ありて妨げられずば我等は汝の光をもて常に導者となさざるべからず。 一九―二一
心進むによりて時立たず、我等かの處よりゆくこと既にこの世の一ミーリアにあたる間におよべり 二二―二四
この時多くの靈の、愛の食卓つくゑに招かんとて懇に物いひつゝこなたに飛來る音きこえぬ、されど目には見えざりき 二五―二七
飛過ぎし第一の聲は、彼等に酒なしと高らかにいひ、これをくりかへしつゝ後方うしろに去れり 二八―三〇
この聲未だ遠く離れて全く聞えざるにいたらざるまに、いま一つの聲、我はオレステなりと叫びて過行き、これまた止まらず 三一―三三
我曰ふ。あゝ父よ、こは何の聲なりや。かく問へる時しもあれ、見よ第三の聲、汝等をしひたげし者を愛せといふ 三四―三六
この時善き師。この圈嫉妬ねたみの罪をむちうつ、このゆゑにむちの紐愛よりらる 三七―三九
くつわは必ず響きを異にす、我のはかるところによれば、汝これをゆるしこみちに着かざるさきに聞くならむ 四〇―四二
されど目をゑてよくかなたを望め、我等の前に坐する民あり、各※(二の字点、1-2-22)岩にもたれて坐せり。 四三―四五
このとき我いよ/\大きく目を開きてわが前方まへを望み、その色石と異なることなきころもを着たる魂を見き 四六―四八
我等なほ少しく先に進める時、マリアよ我等の爲に祈り給へとよばはりまたミケーレ、ピエル及び諸※(二の字点、1-2-22)の聖徒よと喚ばはる聲を我は聞きたり 四九―五一
思ふに今日地上を歩むいかにかたくななる人といふとも、このときわがみしものをみて憐憫あはれみに刺されざることはあらじ 五二―五四
我彼等に近づきてその姿をさだかに見しとき、重き憂ひは涙をわが目よりしぼれり 五五―五七
彼等はあらき毛織を纏へる如くなりき、互ひに身を肩にて支へ、しかして皆岸にさゝへらる 五八―六〇
生活なりはひの途なきめしひ等が赦罪の日物乞はんとてあつまり、かれ頭をこれに寄せ掛け 六一―六三
詞のふしによるのみならず、その外見みえによりてこれに劣らず心に訴へ、早くあはれみを人に起さしめんとするもそのさままたかくの如し 六四―六六
また日が瞽の益とならざるごとく、わがいま語れるところにては、天の光魂に己を施すを好まず 六七―六九
くろがねの絲凡ての者のまぶたを刺し、これを縫ふこと恰もしづかならざる鷹を馴らさんとする時に似たりき 七〇―七二
我はわが彼等を見、みづから見られずして行くの非なるをおもひてわがさと議者はからひびとにむかへるに 七三―七五
彼能くいはざる者のいはんと欲するところをしり、わが問ひを待たずしていふ。語れつづまやかにかつふさはしく。 七六―七八
ヴィルジリオはうてな外側そとがはふち高くめぐるにあらねば落下る恐れあるところを行けり 七九―八一
わが左には信心深き多くの魂ありき、その恐ろしき縫線ぬひめより涙はげしく洩れいでて頬を洗へり 八二―八四
我彼等にむかひていふ。己が願ひのたゞ一の目的めあてなる高き光を必ず見るをうる民よ 八五―八七
願はくは恩惠めぐみ速かに汝等の良心の泡沫あわを消し、記憶の流れこれを傳ひて清く下るにいたらむことを 八八―九〇
汝等の中にラチオびとの魂ありや、我に告げよ、我そのしらせをで喜ばむ、また我これを知らば恐らくはその者に益あらむ。 九一―九三
あゝわが兄弟よ、我等は皆一のまことの都の民なり、汝のいへるは族客たびびととなりてイタリアに住める者のことならむ。 九四―九六
わが立てるところよりやゝ先にこの答へきこゆるごとくなりければ、我わが聲をかなたにひゞくにいたらしむ 九七―九九
我は彼等の中にわがことばを待つさまなる一の魂を見き、若し人いかなる状ぞと問はば、めしひの習ひに從ひてそのおとがひを上げゐたりと答へむ 一〇〇―一〇二
我曰ふ。登らむために己をむる魂よ、我に答へし者汝ならば、處または名を告げて汝の事を我に知らせよ。 一〇三―一〇五
答へて曰ふ。我はシエーナびとなりき、我これらの者と共にこゝに罪の生命いのちを淨め、御前みまへに泣きて恩惠めぐみを求む 一〇六―一〇八
われ名をサピーアといへるも智慧なく、人の禍ひをよろこぶこと己が福ひよりもなほはるかに深かりき 一〇九―一一一
汝我に欺かると思ふなからんため、わがみづからいふごとく愚なりしや否やを聞くべし、わが齡の坂路さかみちはやくだりとなれるころ 一一二―一一四
わがまちの人々その敵とコルレのあたりに戰へり、このときわれ神に祈りてその好みたまへるものを求めき 一一五―一一七
彼等かしこに敗れてさちなくもぐれば、我はその追はるゝを見、身にためしなき喜びをおぼえて 一一八―一二〇
あつかましくも顏を上げつゝ神にむかひ、さながら一時ひとときの光にあへる黒鳥メルロのごとく、今より後我また汝を恐れずと叫べり 一二一―一二三
我わが生命いのちはてに臨みてはじめて神とやはらがんことを願へり、またもしピエル・ペッティナーイオその慈愛の心よりわがために悲しみその聖なる祈りの中にわが身の上を憶はざりせば、わが負債おひめは今も猶苦楚くるしみらさるゝことなかりしなるべし 一二四―一二六
されど汝は誰ぞや――汝我等の状態ありさまをたづね、氣息いきをつきて物いふ、またおもふに目にきづななし。 一三〇―一三二
我曰ふ。わが目もいつかこゝにて我より奪はるゝことあらむ、されどそは暫時しばしのみ、その嫉妬ねたみのために動きて犯せる罪すくなければなり 一三三―一三五
この下なる苛責の恐れはなほはるかに大いにしてわが魂を安からざらしめ、かしこの重荷いま我をす。 一三六―一三八
彼我に。汝かなたに歸るとおもはば、誰か汝を導いてこゝに登り我等の間に入らしめしや。我。我と倶にゐて物言はざる者ぞ是なる 一三九―一四一
我は生く、されば選ばれし靈よ、汝若し我の己が死すべき足をこの後汝のために世に動かすことをねがはば我に請へ。 一四二―一四四
答へて曰ふ。あゝこは耳にいと新しき事にて神の汝をめで給ふ大いなる休徴しるしなれば、汝をりふしわがために祈りて我を助けよ 一四五―一四七
我また汝のせちに求むるものを指して請ふ、若しトスカーナの地を踏むことあらば、わが宗族うからの中に汝再びわが名を立てよ 一四八―一五〇
汝は彼等をタラモネに望みを寄する虚榮の民の間に見む(この民その望みを失ふことディアーナを求めしときより大いならむ 一五一―一五三
されどかしこにてこと危險あやふきを顧みざるは船手をぶる人々なるべし)。 一五四―一五六


   第十四曲

死いまだ羽を與へざるに我等の山をめぐり、己がこゝろのまゝに目を開きまた閉づる者は誰ぞや。 一―三
誰なりや我知らず、我たゞその獨りならざるをしる、汝彼に近ければ自ら問ふべし、快く彼を迎へてものいはしめよ。 四―六
たがひにもたれし二の靈右のかたにてかくわが事をいひ、さて我に物いはむとて顏をあげたり 七―九
その一者ひとり曰ふ。あゝ肉體につゝまれて天にむかひてゆく魂よ、請ふ愛のために我等を慰め、我等に告げよ 一〇―一二
汝いづこより來りしや、また誰なりや、我等汝の恩惠めぐみをみていたく驚く、たえてためしなきことのかく驚かすはうべなればなり。 一三―一五
我。トスカーナの中部をわけてさまよふ一の小川あり、ファルテロナよりいで、流るゝこと百ミーリアにしてなほ足れりとなさず 一六―一八
そのほとりより我はこの身をはこべるなり、我の誰なるを汝等に告ぐるは、わが名未だつよく響かざれば、空しくことばを費すに過ぎず。 一九―二一
はじめ語れるものこの時我に答へて曰ふ。我よく智をもて汝の意中を穿つをえば、汝がいへるはアルノの事ならむ。 二二―二四
そのとも彼に曰ふ。この者何ぞかの流れの名を匿すこと恰も恐るべきことを人のかくすごとくするや。 二五―二七
かく問はれし魂その負債おひめつぐのひていふ。我知らず、されどかゝる溪の名はげに滅び失するをよしとす 二八―三〇
そはその源、ペロロを斷たれし高山たかやまの水ゆたかなる處(かの山のうちこれよりゆたかなる處少なし)より 三一―三三
海より天の吸上ぐる物(諸※(二の字点、1-2-22)の川これによりてその中に流るゝものを)を返さんとて、その注ぐ處にいたるまで 三四―三六
地のさちなきによりてなるか、または惡しき習慣ならはしにそゝのかさるゝによりてなるか、人皆徳を敵と見做して逐出おひいだすこと蛇の如し 三七―三九
此故にかのあはれなる溪に住む者、いちじるしくそのさがを變へ、あたかもチルチェにはるゝに似たり 四〇―四二
人の爲に造られし食物くひものよりは橡實つるばみを喰ふにふさはしききたなき豚の間に、この川まづその貧しき路を求め 四三―四五
後くだりつゝむらがる小犬の己が力をかへりみずして吠え猛るを見ていやしとし、その顏を曲げて彼等をはなる 四六―四八
くだり/\て次第に水嵩みづかさを増すに從ひ、この詛はるゝ不幸のみぞ、犬の次第に狼に變はるをみ 四九―五一
後また多くの深き淵を傳ひてくだり、智の捕ふるを恐れざるばかりに欺罔たばかり滿ちたる狐のむれにあふ 五二―五四
われ聞く者あるがために豈口を噤まんや、この者この後まことの靈の我にあらはすところを想はば益をえむ 五五―五七
我汝の孫を見るに、彼猛き流れの岸にかの狼を獵り、かれらをこと/″\く怖れしむ 五八―六〇
彼その肉を生けるまゝにて賣り、後これを屠ること老いたる獸に異ならず、多くの者の生命いのちを奪ひ自ら己がほまれをうばふ 六一―六三
彼血にまみれつゝかの悲しき林を出づれば、林はいたくあれすたれて今より千年ちとせにいたるまで再びもとのさまにかへらじ。 六四―六六
いたましき禍ひのしらせをうくれば、その難いづれのところより襲ふとも、聞く者顏を曇らすごとく 六七―六九
むきなほりて聞きゐたるかの魂もまたこの詞にうたれ、氣色をかへて悲しみぬ 七〇―七二
一者ひとりことばと一者の容子けはひは、彼等の名を知らんとの願ひを我に起させき、我はかつ問ひかつ請へり 七三―七五
最初はじめに我に物いへる靈即ち曰ふ。汝は汝のわがために爲すを好まざることを、枉げて我に爲さしめんとす 七六―七八
されど神の聖旨みむねによりてかく大いなる恩惠めぐみ汝の中に輝きわたれば我も汝に寄にやぶさかならじ、知るべし我はグイード・デル・ドゥーカなり 七九―八一
わが血は嫉妬ねたみのために湧きたり、我若し人の福ひを見たらんには、汝は我の憎惡にくしみの色におほはるゝをみたりしなるべし 八二―八四
我自ら種を蒔きて今かゝる藁を刈る、あゝ人類よ、ともを除かざるをえざるところに何ぞ汝等の心を寄するや 八五―八七
此はリニエールとてカールボリ家の誇また譽なり、彼の力をぐものその後かしこよりいでざりき 八八―九〇
ポーと山と海とレーノの間にて、まことと悦びに缺くべからざる徳をかくにいたれるものたゞその血統ちすぢのみならず 九一―九三
有毒うどく雜木ざつぼくこれらの境界さかひの内に滿つれば、今はたとひ耕すともたやすくのぞき難からむ 九四―九六
善きリーチオ、アルリーゴ・マナルディ、ピエール・トラヴェルサーロ、グイード・ディ・カルピーニア今何處いづこにかある、噫※(二の字点、1-2-22)庶子となれる 九七―
ローマニアびと等よ、フアッブロの如き者いつか再びボローニアに根差ねざさむ、賤しき草の貴き枝ベルナルディン・ディ・フォスコの如き者
いつか再びファーエンツァよりいでむ、トスカーナびとよ、かのグイード・ダ・プラータ、我等と住めるウゴリーン・ダッツォ
フェデリーゴ・ティニヨーソ及びそのとも、トラヴェルサーラ家アナスタージ(いづれのやからも世繼なし)
また淑女騎士、人の心かく惡しくなりし處にて愛と義氣にはげまされて我等が求めし苦樂を憶ひ出づる時、我泣くともあやしむなかれ ―一一一
あゝブレッティノロよ、汝のやからと多くの民は罪を避けてはや去れるに、汝何ぞ亡びざるや 一一二―一一四
バーニアカヴァールは善し、再び男子なんしを生まざればなり、カストロカーロは惡し、而してコーニオは愈※(二の字点、1-2-22)あし、今もつとめてかゝる伯等きみたちを 一一五―
生めばなり、パガーニはその鬼去るの後よからむ、されど無垢むくしるしをあとに殘すにいたらじ ―一二〇
あゝウゴリーン・デ・ファントリーンよ、汝の名は安し、そは父祖に劣りてこれをはづかしむる者いづるの憂ひなければなり 一二一―一二三
いざ往けトスカーナ人よ、われらの談話ものがたりいたく心を苦しめたれば、今はわれ語るよりなほはるかに泣くをよろこぶ。 一二四―一二六
我等はかの愛する魂等がわれらの足音を聞けるを知れり、されば彼等のもだすをみて路の正しきを疑はざりき 一二七―一二九
我等進みてたゞふたりとなりしとき、空をつんざ電光いなづまのごとき聲前より來り 一三〇―一三二
およそ我に遇ふ者我を殺さむといひ、雲にはかに裂くればおとほそりてきゆるいかづちのごとく過ぐ 一三三―一三五
この聲我等の耳に休歇やすみをえさせし程もなく見よまた一の聲、く續く雷に似て高くはためき 一三六―一三八
我は石となれるアグラウロなりといふ、この時われ身を近く詩人に寄せんとて一歩あとに(まへに進まず)退きぬ 一三九―一四一
四方よもの空はや靜かになりぬ、彼我に曰ふ。これは硬きくつわにて己が境界さかひの内に人をとどめおくべきものなり 一四二―一四四
しかるに汝等は餌をくらひ、年へし敵の魚釣はりにかゝりてその許に曳かれ、くつわよびも殆んど益なし 一四五―一四七
天は汝等を招き、その永遠とこしへに美しき物を示しつゝ汝等をめぐる、されど汝等の目はたゞ地を見るのみ 一四八―一五〇
是に於てか萬事よろづのことをしりたまふもの汝等を撃つ。 一五一―一五三


   第十五曲

くれにむかひてすゝむ日のなほ殘せる路の長さは、たえず戲るゝこと稚子をさなごのごとき球のうち 一―
晝の始めより第三時の終りに亙りてあらはるゝところと同じとみえたり、かしこはゆふべこゝは夜半よはなりき ―六
我等既に多く山をめぐり、いまはまさしく西にむかひて歩めるをもて光まともに我等をてらしゐたりしに 七―九
我はそのかゞやきひときは重くわが額をすをおぼえしかば、事のくすしきにおどろきて 一〇―一二
雙手もろてを眉のあたりにかざし、つよきに過ぐる光をらす一の蔽物おほひをわがために造れり 一三―一五
水または鏡にあたりて光反する方にぬれば、くだるとおなじさまにてのぼり 一六―
その間隔あはひをひとしうして垂線をはなるゝは、學理と經驗によりてしらる ―二一
我もかゝる時に似て、わが前に反映てりかへす光に射らるゝごとくおぼえき、さればわが目はたゞちに逃げぬ 二二―二四
われいふ。やさしき父よ、かの物何ぞや、我これを防ぎて目を護らんとすれども益なし、またこはこなたに動くに似たり。 二五―二七
答へて我に曰ふ。天のやから今なほ汝をまばゆうすともあやしむなかれ、こは人を招きて登らしめんために來れる使者つかひなり 二八―三〇
これらのものをみること汝のうれへとならずして却つて自然が汝に感ずるをえさするかぎりの悦樂たのしみとなる時速かにいたらむ。 三一―三三
我等さいはひなる天使の許にいたれるに、彼喜ばしき聲にていふ。汝等こゝより入るべし、さきのきざはしよりははるかに易き一の階そこにあり。 三四―三六
我等既にかしこを去りて登れるとき、慈悲ある者は福なり、また、悦べ汝勝者かつものよとうたふ聲うしろに起れり 三七―三九
わが師と我とはたゞふたりにて登りゆけり、我は行きつゝ師のことばをききて益をえんことをおもひ 四〇―四二
これにむかひていひけるは。かのローマニアの魂が除くといひといへるは抑※(二の字点、1-2-22)何のこゝろぞや。 四三―四五
是に於てか彼我に。彼は己の最大いとおほいなる罪より來る損害そこなひを知る、此故にこれを責めて人のなげきを少なからしめんとすともあやしむに足らず 四六―四八
それ汝等の願ひの向ふ處にては、侶とわかてば分減ずるがゆゑに、嫉妬ねたみふいごを動かして汝等に大息といきをつかしむれども 四九―五一
至高いとたかき球の愛汝等の願ひを上にむかはしむれば、汝等の胸にこのおそれなし 五二―五四
そはかしこにては、我等の所有もちものとなふる者愈※(二の字点、1-2-22)多ければ、各自おの/\くるさいはひ※(二の字点、1-2-22)多く、かの僧院に燃ゆる愛亦愈※(二の字点、1-2-22)多ければなり。 五五―五七
我曰ふ。我若しはじめよりもだしたりせば、斯くらはぬことなかりしものを、今は却つて多くの疑ひを心に集む 五八―六〇
一のさいはひを頒つにあたり、これを享くる者多ければ、享くる者少なき時より所得多きは何故ぞや。 六一―六三
彼我に。汝は心を地上の物にのみとむるがゆゑにまことの光より闇を摘む 六四―六六
かの高きにいましてきはみなくかつ言ひ難きさいはひは、恰も光線のつやある物に臨むがごとく、馳せて愛にいたり 六七―六九
熱に應じて己を與ふ、されば愛の大いなるにしたがひ永劫の力いよ/\その上に加はる 七〇―七二
心を天に寄する民愈※(二の字点、1-2-22)多ければ、深く愛すべき物愈※(二の字点、1-2-22)多く、彼等の愛亦愈※(二の字点、1-2-22)多し、而して彼等の互ひに己をうつすこと鏡に似たり 七三―七五
若しわが説くところ汝のうゑしづめずば、汝ベアトリーチェを見るべし、さらば彼は汝のために全くこれらの疑ひを解かむ 七六―七八
今はたゞ、痛みの爲にふさがる五のきずの、とくかの二のごとく消ゆるにいたる途を求めよ。 七九―八一
我はこのとき我よくさとるといはんとおもひしかど、わがすでに次の圓に着けるを見しかば、目の願ひのためにもだせり 八二―八四
こゝにて我俄かにわが官能をはなれて一のまぼろしの中に曳かれ、多くの人を一の神殿みやの内にみしごとくなりき 八五―八七
母たる者のやさしさを姿にあらはせしひとりの女、入口に立ち、わが子よ、何ぞ我等にかくなしたるや 八八―九〇
見よ、汝の父と我と憂へて汝を尋ねたりといひ、いひをはりてもだせしとき、第一の異象消ゆ 九一―九三
次にまたひとりの女わが前にあらはれき、はげしき怒りより生るゝとき憂ひのしたたらす水その頬をくだれり 九四―九六
彼曰ふ。汝まことにかゝる都――これが名について神々の間にかのごとき爭ひありき、また凡ての知識の光この處よりきらめきいづ――の君ならば 九七―九九
ピシストラートよ、我等のむすめが抱きたる不敵のかひなに仇をむくいよ。されど君は寛仁柔和の人とみえ 一〇〇―一〇二
さわぐ氣色けしきもなくこれに答へて、我等己を愛する者を罪せば、我等の禍ひを求むる者に何をなすべきやといふごとくなりき 一〇三―一〇五
我また民が怒りの火に燃え、殺せ/\とのみ聲高く叫びあひつゝ石をもてひとりの少年わかものを殺すをみたり 一〇六―一〇八
死はいま彼を壓しつゝ地にむかひてかゞましむれど、彼はたえず目を天の門となし 一〇九―一一一
かゝる爭ひのうちにも憐憫あはれみく姿にてたふとき主に祈り、己をしひたぐる者のために赦しを乞へり 一一二―一一四
わが魂外部そとにむかひ、その外部そとなるまことの物に歸れる時、我は己の僞りならざる誤りをみとめき 一一五―一一七
わが導者は、眠りさむる人にひとしきわが振舞をみるをえていふ。汝いかにせる、何ぞ自ら身をさゝふるあたはずして 一一八―一二〇
半レーガ餘の間、目を閉ぢ足をよろめかし、あたかも酒や睡りになやむ人のごとく來れるや。 一二一―一二三
我曰ふ。あゝやさしきわが父よ、汝耳をかたむけたまはば、我かくはぎを奪はれしときわが前にあらはれしものを汝に告ぐべし。 一二四―一二六
彼。汝たとひ百の假面めんにて汝の顏を覆ふとも、汝の思ひのいと微小さゝやかなるものをすら、我にかくすことあたはじ 一二七―一二九
それかのものの汝に見えしは、汝が言遁いひのがるゝことなくしてかの永遠とこしへの泉よりあふれいづる平和の水に心を開かんためなりき 一三〇―一三二
わがいかにせると汝に問へるも、こは魂肉體を離るれば視る能はざる目のみをもて見るものの問ふごとくなせるにあらず 一三三―一三五
たゞ汝の足に力をえさせんとて問へるなり、總て怠惰にて覺醒めざめ己に歸るといへどもこれを用ゐる事遲き者はかくして勵ますを宜しとす。 一三六―一三八
我等はゆふべの間、まばゆきくれの光にむかひて目の及ぶかぎり遠く前途ゆくてを見つゝ歩みゐたるに 一三九―一四一
見よ夜の如く黒き一團の煙しづかに/\こなたに動けり、しかして避くべきところなければ 一四二―一四四
我等は目と澄める空氣をこれに奪はれき 一四五―一四七


   第十六曲

地獄の闇または乏しきそらに雲みち/\て暗き星なきの闇といふとも 一―三
我等をおほへる烟のごとく厚きあら※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かほおほひを造りてわが目を遮りわが官に觸れしことはあらじ 四―六
われ目をひらくあたはざれば、さとたのもしきわが導者は我にちかづきてその肩をかしたり 七―九
我はめしひが路をあやまりまたは己をそこなふか殺しもすべき物にうちあたるなからんためその相者てびきに從ふごとく 一〇―一二
からき濁れる空氣をわけ、わが導者の、汝我と離れざるやう心せよとのみいへることばに耳を傾けて歩めり 一三―一五
こゝに多くの聲きこえぬ、各※(二の字点、1-2-22)平和と慈悲とを、かの罪を除きたまふ神のこひつじに祈るに似たりき 一六―一八
祈りはたえずアーグヌス・デイーにはじまり、詞も節もみな同じ、さればすべての聲全く相和せるごとくなりき 一九―二一
我曰ふ。師よ、かくうたふは靈なりや。彼我に。汝のはかるところ正し、彼等は怒りのむすびを解くなり。 二二―二四
我等の烟を裂き、いまだ時を月に分つ者のごとく我等の事を語る者よ、汝は誰ぞや。 二五―二七
一の聲斯く曰へり、是に於てかわが師曰ふ。汝答へよ、しかして登りの道のこなたにありや否やを問ふべし。 二八―三〇
我。あゝ身を麗しうして己が造主つくりぬしに歸らんため罪を淨むる者よ、汝我にともなはばくすしき事を聽くをえむ。 三一―三三
答へて曰ふ。我汝に從ひてわが行くをうる間はゆかむ、烟は見るを許さずとも聞くことこれに代りて我等を倶にあらしめむ。 三四―三六
このとき我曰ふ。我は死の解く纏布まきぎぬをまきて登りゆくなり、地獄の苦しみを過ぎてこゝに來れり 三七―三九
神はわがその王宮を、近代ちかきよに全くためしなき手段てだてによりて見るをよみしたまふまで、我をその恩惠めぐみにつゝみたまへるなれば 四〇―四二
汝死なざるさきは誰なりしや請ふ隱さず我に告げよ、また我のかくゆきてこみちにいたるや否やを告げて汝の言を我等のしるべとならしめよ。 四三―四五
我はロムバルディアの者にて名をマルコといへり、我よく世の事を知り、今はひとりだにねらふ人なき徳を慕へり 四六―四八
汝登らんとてこなたにゆくはよし。かく答へてまたいふ。高き處にいたらば請ふ汝わがために祈れ。 四九―五一
我彼に。我は誓ひて汝の請ふところをなさむ、たゞ我に一の疑ひあり、我もしこれを解かずば死すべし 五二―五四
こは初めひとへなりしも今二重ふたへとなりぬ、そは汝のことば、これとつらなる事のまことなるをこゝにもかしこにも定かに我に示せばなり 五五―五七
世はげに汝のいふごとく全く一切の徳を失ひ、邪惡を孕みてかつこれにおほはる 五八―六〇
されど請ふ我にその原因もと指示さししめし、我をして自らこれを見また人にみするをえしめよ、そは或者これを天に歸し或者地に歸すればなり。 六一―六三
憂ひのあゝに終らしむる深き歎息ためいきをつきて後彼曰ひけるは。兄弟よ、世はめしひなり、しかして汝まことにかしこより來る 六四―六六
汝等生者は一切の原因もとをたゞ上なる天にのみ歸し、この物必然の力によりてよく萬事を定むとなす 六七―六九
若し夫れ然らば自由の意志汝等の中に滅ぶべく、善のために喜び惡のために悲しみを得るは正しき事にあらざるべし 七〇―七二
天は汝等の心のうごき最初はじめ傾向かたむきを與ふれども、凡てに於て然るにあらず、また假りに然りと見做すも汝等には善惡を知るの光と 七三―七五
自由の意志と與へらる(この意志もしはじめて天と戰ふ時の疲勞つかれに堪へ後善く養はるれば凡ての物に勝つ) 七六―七八
汝等は天の左右しあたはざる智力を汝等の中に造るもの即ち天より大いなる力、まされるさがもとに屬して而して自由を失はず 七九―八一
此故に今の路を誤らば、その原因もと汝等の中にあり、汝等己が中にたづねよ、我またこの事について今明かに汝に告ぐべし 八二―八四
それ純なるをさなき魂は、たゞ己を樂しますものに好みてむかふ(喜悦よろこびの源なる造主つくりぬしよりいづるがゆゑに)ほか何事をも知らず 八五―
あたかも泣きつゝ笑ひつゝ遊び戲るゝ女童めのわらはのごとくにて、その未だあらざるさきよりこれをめづる者の手を離れ ―九〇
まづさゝやかなるさいはひを味ひてこれに欺かれ、導者かくつわその愛を枉げずば即ち馳せてこれを追ふ 九一―九三
是に於てか律法おきてを定めて銜となし、またせめてまことの都の塔を見分くる王を立てざるあたはざりき 九四―九六
律法なきに非ず、されど手をこれにつくる者は誰ぞや、一人ひとりだになし、これかみに立つ牧者※(「齒+台」、第4水準2-94-79)にれがむことをうれどもそのつめ分れざればなり 九七―九九
このゆゑに民は彼等の導者が彼等の貪るさいはひにのみ心をとむるをみてこれをみ、さらに遠く求むることなし 一〇〇―一〇二
汝今よく知りぬらむ、世のよこしまになりたる原因もとは、汝等の中の腐れしさがにあらずして惡しきみちびきなることを 一〇三―一〇五
善き世を造れるローマには、世と神との二の路をともに照らせし二の日あるを常とせり 一〇六―一〇八
一はほかの一を消しぬ、つるぎは杖と結ばれぬ、かくして二を一にすとも豈よろしきをうべけんや 一〇九―一一一
これ結びては互ひに恐れざればなり、汝もし我を信ぜずば穗を思ひみよ、草はすべて種によりて知らる 一一二―一一四
アディーチェとポーの濕ほす國にては、フェデリーゴがいまだ爭ひを起さざりしころ、常に武あり文ありき 一一五―一一七
今は善き人々と語りまたは彼等に近づくことを恥ぢて避くる者かしこをやすらかに過ぐるをう 一一八―一二〇
されど古をもて今を責め、神の己をまさる生命いのちかへし給ふを遲しとおもふ三人みたりおきななほまことにかしこにあり 一二一―一二三
クルラード・ダ・パラッツオ、善きゲラルド及びフランスびとの習ひにりて素樸のロムバルドの名にて知らるゝグイード・ダ・カステル是なり 一二四―一二六
汝今より後いふべし、ローマの寺院は二の主權を己の中に亂せるにより、泥士におちいりて己と荷とを倶にけがすと。 一二七―一二九
我曰ふ。あゝわがマルコよ、汝の説くところし、我は今レーヴィの子等がかの産業に與かるあたはざりしゆゑをしる 一三〇―一三二
されど汝が、消えにし民の記念かたみに殘りて朽廢くちすたれしを責むといへるゲラルドとは誰の事ぞや。 一三三―一三五
答へて曰ふ。汝のことば我を欺くかはた我を試むるか、汝トスカーナの方言くにことばにて我と語りて而して少しも善きゲラルドの事をしらざるに似たり 一三六―一三八
我彼に異名いみやうあるをしらず――若し我これをそのむすめガイアより取らずば――願はくは神汝と倶にあれ、我こゝにて汝と別れむ 一三九―一四一
烟をわけてはや白くす光を見よ、天使かしこにあり、我はわが彼に見えざるさきに去らざるをえず。 一四二―一四四
斯くいひて身をめぐらし、わがいふところを聞かんともせざりき 一四五―一四七


   第十七曲

讀者よ、霧峻嶺たかねにて汝を襲ひ、汝物を見るあたかも※(「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1-94-84)もぐらが膜を透してみるごとくなりしことあらば、おもへ 一―三
しめりて濃き水氣の薄らぎはじむるころ、日の光微かにその中に入り來るを 四―六
しかせば汝の想像はわが第一に日(このとき沈みかゝりぬ)を再び見しさまを容易たやすく見るにいたるべし 七―九
我は斯くわが歩履あゆみをわが師のたのもしきあゆみにあはせてかゝる雲をいで、はや低き水際みぎはに死せる光にむかへり 一〇―一二
あゝ千の喇叭らっぱあたりに響くもしらざるまでに人をしば/\外部そとより奪ふ想像の力よ 一三―一五
若し官能汝に物を與へずば誰ぞや汝を動かすは、天にて形造かたちづくらるゝ光或ひは自ら或ひはこれを地に導く意志によりて汝を動かす 一六―一八
歌ふを最もよろこぶ鳥に己が形を變へたる女の殘忍なりし事のあとわが想像の中にあらはれぬ 一九―二一
このときわが魂はみな己の中にあつまり外部そとより來るところのものを一だに受けざりき 二二―二四
次にひとりの十字架にかゝれる者わが高まれる想像の中にりぬ、侮蔑と兇猛を顏にあらはし、死に臨めどもこれを變へず 二五―二七
そのまはりには大いなるアッスエロとその妻エステル、及びことばおこなひ倶に全き義人マルドケオゐたり 二八―三〇
あたかもおほへる水の乏しくなれる一のあわのごとくこのかたちおのづから碎けしとき 三一―三三
わが幻の中にひとりの處女をとめあらはれ、いたく泣きつゝいひけるは。あゝ王妃よ、何とて怒りのために無に歸するを願ひたまひたる 三四―三六
汝ラヴィーナを失はじとて身を殺し、今我を失ひたまへり、母上よ、かの人の死よりさきに汝の死をいたむものぞ我なる。 三七―三九
新しき光閉ぢたる目を俄かに射れば睡りは破れ、破れてしかしてその全く消えざるさきにゆらめくごとく 四〇―四二
我等の見慣るゝ光よりもなほはるかに大いなるものわが顏にあたるに及びてかの想像のかたち消えたり 四三―四五
我はわがいづこにあるやを知らんとて身をめぐらせるに、この時一の聲、登る處はこゝぞといひて凡てのほかの思ひよりわが心を引離し 四六―四八
語れる者の誰なるをみんとのわが願ひを、顏を合すにあらざれば絶えてしづまることなきばかり深くせしかど 四九―五一
あたかも我等の視力をあつし、強きに過ぐる光によりてその形を被ひかくす日にむかふ時のごとくにわが力足らざりき 五二―五四
こは天の靈なり、己が光の中にかくれ、我等の請ふを待たずして我等にのぼりの道を示す 五五―五七
彼人をあしらふこと人の自己おのれをあしらふに似たり、そは人は乏しきを見て乞はるゝを待つ時、その惡しき心より早くも拒まんとすればなり 五八―六〇
いざ我等かゝる招きに足をあはせて暮れざるさきにいそぎ登らむ、暮れなば再び晝となるまでしかするあたはじ。 六一―六三
わが導者かくいへり、我は彼と、足を一のきざはしにむけたり、かくてわれ第一のきだを踏みしとき 六四―六六
我は身のほとりに翼の如く動きてわが顏を扇ぐものあるを覺え、また、平和を愛する者(惡しき怒りを起さざる)は福なりといふ聲をききたり 六七―六九
夜をともなふ最後の光ははや我等をはなれて高き處を照し、かなたこなたに星あらはれぬ 七〇―七二
あゝわが能力ちからよ、汝何ぞかく消ゆるや。我自らかくいへり、そは我わがはぎ作用はたらきむを覺えたればなり 七三―七五
我等はかのきざはし登り果てしところに立てり、しかして動かざること岸に着ける船に似たりき 七六―七八
また我はこの新しき圓に音する物のあらんをおもひてしばし耳を傾けし後、わが師にむかひていふ 七九―八一
わがやさしき父よ告げたまへ、この圓に淨めらるゝは何の咎ぞや、たとひ足はとゞめらるとも汝のことばをとどむるなかれ。 八二―八四
彼我に。さいはひを愛する愛、その義務つとめに缺くるところあればこゝにておぎなはる、怠りておそくせるかいこゝにて再び早めらる 八五―八七
されど汝なほ明かにさとらんため心を我にむかはしめよ、さらば我等の止まる間に汝善きを摘むをうべし。 八八―九〇
かくて又曰ふ。子よ、造主つくりぬしにも被造物つくられしものにも未だ愛なきことなかりき、これに自然の愛あり、魂より出づる愛あり、汝これを知る 九一―九三
自然の愛は常に誤らず、されど他はよからぬ目的めあてまたは強さの過ぐるか足らざるによりて誤ることあり 九四―九六
愛第一のさいはひをめざすか、ほどよく第二の幸をめざす間は、不義の快樂けらく原因もとたるあたはず 九七―九九
されどれて惡に向ふか、または幸を追ふといへどもその熱よろしきを失ひて或ひは過ぎ或ひは足らざる時は即ち被造物つくられしもの己を造れる者にさからふ 一〇〇―一〇二
是故に汝さとるをうべし、愛は必ず汝等の中にて凡ての徳の種となり、また罰をうくるに當るすべての行爲おこなひの種となるを 一〇三―一〇五
さてまた愛はその主體の福祉より目をめぐらすをえざるがゆゑにいかなる物にも自ら憎むの恐れあるなく 一〇六―一〇八
いかなる物も第一者とわかれて自ら立つの理なきがゆゑにその情はみなこれを憎むことより斷たる 一〇九―一一一
わがかく説分ときわくる處正しくば、愛せらるゝ禍ひは即ち隣人となりびとの禍ひなる事亦おのづから明かならむ、而して汝等のひぢの中にこの愛の生ずるさま三あり 一一二―一一四
己が隣人の倒るゝによりて自ら秀でんことを望み、たゞこのためにその高きより墜つるを希ふ者あり 一一五―一一七
人の高く登るを見て己がちからめぐみほまれ及び名を失はんことをおそれ悲しみてその反對うらを求むる者あり 一一八―一二〇
また復讐を貪るほどに損害そこなひを怨むとみゆる者あり、かゝる者は必ず人の禍ひをくはだつ 一二一―一二三
この三樣の愛この下に歎かる、汝これよりいま一の愛即ち程度ほどを誤りて幸を追ふもののことを聞け 一二四―一二六
それ人各※(二の字点、1-2-22)己が魂を安んぜしむる一の幸をおぼろにみとめてこれを望み、皆爭ひてこれにかんとす 一二七―一二九
これを見または求むるにあたりて汝等を引くところの愛にぶければ、このうてなは汝等を、正しく悔いし後に苛責す 一三〇―一三二
また一のさいはひあり、こは人を幸にせざるものにてまことの幸にあらず、凡ての幸のまたその根なる至上の善にあらず 一三三―一三五
かゝる幸に溺るゝ愛この上なる三の圈にて歎かる、されどその三に分るゝ次第は 一三六―一三八
我いはじ、汝自らこれをたづねよ。 一三九―一四一


   第十八曲

説きをはりて後たふとき師わが足れりとするや否やをしらんと心をとめてわが顏を見たり 一―三
我はすでに新しきかわきに責められたれば、そともだせるもうちに曰ふ。恐らくは問ふこと多きに過ぎて我彼をわづらはすならむ。 四―六
されどかのまことの父はわが臆してひらかざる願ひをさとり、自ら語りつゝ、我をはげましてかたらしむ 七―九
是に於てか我。師よ、汝の光わが目をつよくし、我は汝のことばの傳ふるところまたは陳ぶるところをみな明かに認むるをう 一〇―一二
されば請ふ、わが愛する麗しき父よ、すべての善惡の行のもとなりと汝がいへる愛の何物なるやを我にときあかしたまへ。 一三―一五
彼曰ふ。智の鋭き目をわが方にむけよ、しかせば汝は、かの己を導者となすめしひ等の誤れることをさだかに見るべし 一六―一八
夫れ愛し易く造られし魂樂しみのためにさめてそのはたらきを起すにいたればたゞちに動き、凡て己を樂します物にむかふ 一九―二一
汝等の會得ゑとくの力は印象を實在よりとらへ來りて汝等のうちにあらはし魂をこれにむかはしむ 二二―二四
魂これにむかひ、しかしてこれに傾けば、このかたむきは即ち愛なり、樂しみによりて汝等の中に新たに結ばるゝ自然なり 二五―二七
かくて恰も火がそのたいの最や永く保たるゝところに登らんとする素質によりて高きにむかひゆくごとく 二八―三〇
とらはれし魂は靈のうごきなる願ひの中に入り、愛せらるゝものこれをよろこばすまでは休まじ 三一―三三
汝是に依りてさとるをえむ、いかなる愛にても愛そのものはむべきものなりと斷ずる人々いかにまことに遠ざかるやを 三四―三六
これ恐らくはその客體常によしと見ゆるによるべし、されどたとひ蝋は良とも印影かた悉くよきにあらず。 三七―三九
我答へて彼に曰ふ。汝のことばとこれに附隨つきしたがへるわが智とは我に愛をあらはせり、されどわが疑ひは却つてこのためにいよ/\深し 四〇―四二
そは愛外部そとより我等に臨み、魂ほかの足にて行かずば、直く行くも曲りてゆくも己がごふにあらざればなり。 四三―四五
彼我に。理性のこれについて知るところは我皆汝に告ぐるをう、それより先は信仰にかゝはる事なればベアトリーチェを待つべし 四六―四八
それ物質と分れてしかしてこれと結び合ふ一切の靈體は特殊の力をその中にあつむ 四九―五一
この力はその作用によらざれば知られず、あたかも草木くさき生命いのち縁葉みどりのはに於ける如くそのくわによらざれば現はれず 五二―五四
是故に最初の認識の智と、慾の最初の目的めあてを求むる情とは恰も蜜を造る本能蜂の中にある如く汝等の中にありて 五五―
そのいづこより來るや人知らず、しかしてこの最初の願ひはほめをもそしりをもうくべきものにあらざるなり ―六〇
さてこれにほかの凡ての願ひの集まるためには、謀りて而して許諾うけがひしきみをまもるべき力自然に汝等の中に備はる 六一―六三
是即ち評價のみなもとなり、是が善惡二の愛をあつめ且つるの如何によりて汝等の價値かち定まるにいたる 六四―六六
理をもて物を究めし人々この本然の自由を認めき、このゆゑに彼等徳義を世界にのこせるなり 六七―六九
かかればたとひ汝等のうちに燃ゆる愛みな必須より起ると見做すも、汝等にはこれをおさふべき力あり 七〇―七二
ベアトリーチェはこの貴き力をよびて自由の意志といふ、汝これを憶ひいでよ、彼若しこの事について汝に語ることあらば。 七三―七五
夜半よは近くまでおくれし月は、その形白熱の釣瓶つるべのごとく、星を我等にまれにあらはし 七六―七八
ローマの人がサールディニアとコルシーカの間に沈むを見る頃の日の炎をあぐる道に沿ひ天に逆ひて走れり 七九―八一
マントヴァのまちよりもピエートラを名高くなせる貴き魂わが負はせし荷をはやときおろし 八二―八四
我わが問ひをもてあきらかにしてし易き説をはや刈り收めたれば、我は恰も睡氣ねむけづきて思ひ定まらざる人の如く立ちゐたり 八五―八七
されど此時後方うしろよりはやこなたにめぐり來れる民ありて忽ちわが睡氣ねむけをさませり 八八―九〇
テーベびと等バッコの助けを求むることあれば、イスメーノとアーソポがそのかみ夜その岸邊きしべに見しごとき狂熱と雜沓とを 九一―九三
我はかの民に見きとおぼえぬ、彼等は善き願ひと正しき愛に御せられつゝかの圓に沿ひてその歩履あゆみを曲ぐ 九四―九六
かの大いなるむれこと/″\く走り進めるをもて、彼等たゞちに我等の許に來れり、さきの二者ふたり泣きつゝ叫びていひけるは。 九七―九九
マリアはいそぎて山にはせゆけり。また。チェーザレはイレルダをしたがへんとて、マルシリアを刺しし後イスパニアに走れり。 一〇〇―一〇二
衆つゞいてさけびていふ。とく來れとく、愛の少なきために時を失ふなかれ、善行よきおこなひをつとめて求めて恩惠めぐみを新たならしめよ。 一〇三―一〇五
あゝ善を行ふにあたりて微温ぬるみのためにあらはせし怠惰おこたり等閑なほざりを恐らくは今強き熱にて償ふ民よ 一〇六―一〇八
この生くる者(我決して汝等を欺かず)登り行かんとてたゞ日の再び輝くを待つ、されば請ふこみちに近きはいづ方なりや我等に告げよ。 一〇九―一一一
是わが導者の詞なりき、かの靈の一曰ふ。我等と同じかたに來れ、しかせば汝徑を見む 一一二―一一四
進むの願ひいと深くして我等止まることをえず、このゆゑに我等の義務つとめもし無禮むらいとみえなばゆるせ 一一五―一一七
我は良きバルバロッサが(ミラーノ彼の事を語れば今猶愁ふ)帝國に君たりし頃ヴェロナのサン・ヅェノの院主なりき 一一八―一二〇
既に隻脚かたあしを墓に入れしひとりの者程なくかの僧院のために歎き、權をその上にふるひしことを悲しまむ 一二一―一二三
彼はその子の身全からず、心さらにあしく、うまれ正しからざるものをそのまことの牧者に代らしめたればなり。 一二四―一二六
彼既に我等を超えて遠く走り行きたれば、そのなほ語れるやまたはもだせるや我知らず、されどかくいへるをきき喜びてこれを心にとめぬ 一二七―一二九
すべて乏しき時のわがたすけなりし者いふ。汝こなたにむかひて、かのふたりの者の怠惰おこたりを噛みつゝ來るを見よ。 一三〇―一三二
凡ての者の後方うしろにて彼等いふ。ひらかれし海をわたれる民は、ヨルダンがその嗣子よつぎを見ざりしさきに死せり。 一三三―一三五
また。アンキーゼの子とともに終りまで勞苦を忍ばざりし民は、はえなき生に身を委ねたり。 一三六―一三八
かくてかの魂等遠く我等を離れて見るをえざるにいたれるとき、新しき想ひわが心に起りて 一三九―一四一
多くの異なる想ひを生めり、我彼より此とさまよひ、迷ひのためにわが目を閉づれば 一四二―一四四
想ひは夢に變りにき 一四五―一四七


   第十九曲

晝のあつさ地球のために、またはしば/\土星のために消え、月のさむさをはややはらぐるあたはざるとき 一―三
地占者ゼオマンテイ等が、夜の明けざるさきに、その大吉とづくるものの、ほどなく白む道を傳ひて、東に登るを見るころほひ 四―六
ひとりの女夢にわが許に來れり、口どもり目すがみ足まがり手たれ色蒼し 七―九
われこれに目をとむれば、夜のこゞえしむる身に力をつくる日のごとくわが目その舌をかろくし 一〇―
後また程なくその全身を直くし、そのあをざめし顏を戀の求むるごとく染めたり ―一五
さてかく詞の自由をえしとき、彼歌をうたひいづれば、我わが心をほかに移しがたしとおもひぬ 一六―一八
その歌にいふ。我はうるはしきシレーナなり、耳を樂しましむるもの我に滿ちみつるによりて海の正中たゞなか水手かこ等を迷はす 一九―二一
我わが歌をもてウリッセをその漂泊さすらひの路より引けり、およそ我と親しみて後去る者少なし、心にたらはぬところなければ。 二二―二四
その口未だ閉ぢざる間に、ひとりの聖なる淑女、これをはぢしめんとてわがかたへにあらはれ 二五―二七
あゝヴィルジリオよ、ヴィルジリオよ、これ何者ぞやとあららかにいふ、導者即ち淑女にのみ目をそゝぎつゝ近づけり 二八―三〇
さてかの女をとらへ、ころもの前を裂き開きてその腹を我に見すれば、惡臭をしうこれよりいでてわが眠りをさましぬ 三一―三三
われ目を善き師にむかはしめたり、彼いふ。少なくも三たび我汝を呼びぬ、起きて來れ、我等は汝の過ぎて行くべき門を尋ねむ。 三四―三六
我は立てり、高き光ははや聖なる山の諸※(二の字点、1-2-22)の圓に滿てり、我等は新しき日を背にして進めり 三七―三九
我は彼に從ひつゝ、わが額をば、あたかもこれに思ひを積み入れ身を反橋そりはしなかばとなす者のごとく垂れゐたるに 四〇―四二
この人界にては開くをえざるまでやはらかくやさしく、來れ、道こゝにありといふ聲きこえぬ 四三―四五
かく我等に語れるもの、白鳥のそれかとみゆる翼をひらきて、硬き巖の二の壁の間より我等を上にむかはしめ 四六―四八
後羽を動かして、哀れむ者はその魂なぐさめの女主となるがゆゑに福なることを告げつつ我等をあふげり 四九―五一
我等ふたり天使をはなれて少しく登りゆきしとき、わが導者我にいふ。汝いかにしたりとて地をのみ見るや。 五二―五四
我。あらたなるまぼろしはわが心をこれにかたむかせ、我この思ひを棄つるをえざれば、かく疑ひをいだきてゆくなり。 五五―五七
彼曰ふ。汝はこの後唯一者ひとりにて我等の上なる魂を歎かしむるかの年へし妖女を見しや、人いかにしてこれがきづなを斷つかを見しや 五八―六〇
足れり、いざ汝歩履あゆみをはやめ、永遠とこしへの王が諸天をめぐらして汝等に示す餌に目をむけよ。 六一―六三
はじめは足をみる鷹も聲かゝればむきなほり、心食物くひもののためにかなたにひかれ、これをえんとの願ひを起して身を前に伸ぶ 六四―六六
我亦斯の如くになりき、かくなりて、かの岩の裂け登る者に路を與ふるところを極め、めぐりはじむる處にいたれり 六七―六九
第五の圓にいでしとき、我見しにこゝに民ありき、彼等みな地にうつむき伏して泣きゐたり 七〇―七二
わが魂は塵につきぬ、我はかく彼等のいへるをききしかど、詞ほとんどしがたきまでその歎息なげき深かりき 七三―七五
あゝ神に選ばれ、義と望みをもて己が苦しみをかろむる者等よ、高き登の道あるかたを我等にをしへよ。 七六―七八
汝等こゝに來るといへども伏すの憂ひなく、たゞいとすみやかに道に就かんことをねがはば、汝等の右を常にそととせよ。 七九―八一
詩人斯く請ひ我等かく答へをえたり、こは我等の少しく先にきこえしかば、我そのことばによりてかのかくれたる者を認め 八二―八四
目をわが主にむけたるに、主は喜悦よろこび休徴しるしをもて、顏にあらはれしわが願ひの求むるところを許したまへり 八五―八七
我わが身を思ひのまゝになすをえしとき、かの魂即ちはじめ詞をもてわが心を惹ける者にちかづき 八八―九〇
いひけるは。神のみもとに歸るにあたりて缺くべからざるところの物を涙にましむる魂よ、わがために少時しばらく汝の大いなるこゝろばせを抑へて 九一―九三
我に告げよ、汝誰なりしや、汝等何ぞ背を上にむくるや、汝わが汝の爲に世に何物をか求むるを願ふや、我はいきながら彼處かしこよりいづ。 九四―九六
彼我に。何故に我等の背を天が己にむけしむるやは我汝に告ぐべきも、汝まづ我はペトルスの繼承者なりしことを知るべし 九七―九九
一の美しき流れシェストリとキアーヴェリの間をくだる、しかしてわが血族やから稱呼となへはその大いなる誇をばこの流れの名に得たり 一〇〇―一〇二
月を超ゆること數日、我は大いなる法衣ころもが、これをひぢに汚さじとつとむる者にはいと重くして、いかなる重荷もたゞ羽と見ゆるをしれり 一〇三―一〇五
わが歸依はあはれおそかりき、されどローマの牧者となるにおよびて我は生の虚僞いつはり多きことをさとれり 一〇六―一〇八
かく高き地位をえて心なほしづまらず、またかの生をうくる者さらに高くのぼるをえざるをみたるがゆゑにこの生の愛わがうちに燃えたり 一〇九―一一一
かの時にいたるまで、我はさちなき、神を離れし、全く慾深き魂なりき、今は汝の見るごとく我このためにこゝに罰せらる 一一二―一一四
貪婪むさぼりの爲すところのことは我等悔いし魂の罪を淨むるさまにあらはる、そも/\この山にこれよりにがき罰はなし 一一五―一一七
我等の目地上の物に注ぎて、高く擧げられざりしごとくに、正義はこゝにこれを地に沈ましむ 一一八―一二〇
貪婪むさぼり善を求むる我等の愛を消して我等の働をとゞめしごとくに、正義はこゝに足をも手をもからめとらへて 一二一―
かたく我等をおさふ、正しき主の好みたまふ間は、我等いつまでも身を伸べて動かじ。 ―一二六
我は既に跪きてゐたりしが、このとき語らんと思へるに、わが語りはじむるや彼ただ耳を傾けて我の尊敬うやまひをあらはすをしり 一二七―一二九
いひけるは。汝何ぞかく身をかゞむるや。我彼に。汝のきはたかければわが良心は我の直く立つを責めたり。 一三〇―一三二
彼答ふらく。兄弟よ、足を直くして身を起すべし、誤るなかれ、我も汝等とおなじく一の權威ちからしもべなり 一三三―一三五
汝若しまた嫁せずといへる福音の聲をきけることあらば、またよくわがかく語る所以ゆゑんをさとらむ 一三六―一三八
いざけ、我は汝の尚長く止まるを願はず、我泣いて汝のいへるところのものをましむるに汝のこゝにあるはそのさまたげとなればなり 一三九―一四一
我には世に、名をアラージヤといふひとりのめひあり、わがうからの惡に染まずばその氣質こゝろばへはよし 一四二―一四四
わがかしこに殘せる者たゞかの女のみ。 一四五―一四七


   第二十曲

一の意これにまさる意と戰ふも利なし、是故に我は彼を悦ばせんためわが願ひに背きて飽かざる海絨うみわたを水よりあげぬ 一―三
我は進めり、わが導者はたえず岩に沿ひて障礙しやうげなき處をゆけり、そのさま身を女墻ひめがきに寄せつゝ城壁の上をゆく者に似たりき 四―六
そは片側かたがはには、全世界にはびこる罪を一しづくまた一滴、目より注ぎいだす民、あまりにふち近くゐたればなり 七―九
禍ひなるかな汝年へし牝の狼よ、汝ははてしなきゑのために獲物えものをとらふること凡ての獸の上にいづ 一〇―一二
あゝ天よ(人或ひは下界の推移を汝の運行に歸するに似たり)、これを逐ふ者いつか來らむ 一三―一五
我等はおそくしづかに歩めり、我は魂等のいたはしく歎き憂ふる聲をききつゝこれに心をとめゐたるに 一六―一八
ふと我等の前に、うみにくるしむ女のごとく悲しくさけぶ聲きこえて、うるはしきマリアよといひ 一九―二一
續いてまた、汝の貧しかりしことは汝が汝の聖なる嬰兒をさなごを臥さしめしかの客舍にあらはるといひ 二二―二四
また次に、あゝ善きファーブリツィオよ、汝は不義と大いなる富を得んより貧と徳をえんと思へりといふ 二五―二七
これらの詞よくわが心にかなひたれば、我はかくいへりとみゆる靈の事をしらんとてなほさきに進めるに 二八―三〇
彼はまたニッコロが小女をとめ等の若き生命いのちを導きて貞淑みさをに到らしめんため彼等にをしまず物を施せしことをかたれり 三一―三三
我曰ふ。あゝかく大いなる善を語る魂よ、汝は誰なりしや、何ぞたゞひとりこれらのむべきわざを新たに陳ぶるや、請ふ告げよ 三四―三六
はてをめざして飛びゆく生命いのちの短き旅を終へんためわれ世に歸らば、汝の詞報酬むくいをえざることあらじ。 三七―三九
彼。我はかしこになぐさめをうるを望まざれども、かく大いなる恩惠めぐみいまだ死せざる汝の中に輝くによりてこれを告ぐべし 四〇―四二
一の惡しき木その蔭をもてすべてのクリスト數國をおほひ、良果よきみこれより採らるゝことまれなり、そも/\我はかの木の根なりき 四三―四五
されどドアジォ、リルラ、ガンド、及びブルーゼスの力足りなばむくい速かにこれに臨まむ、我また萬物をさばき給ふ者にこの報を乞ひ求む 四六―四八
我は世に名をウーゴ・チャペッタといへり、多くのフィリッピとルイージ我よりいでて近代ちかきよのフランスを治む 五二―五四
我は巴里パリージのとある屠戸にくやの子なりき、昔の王達はやみなかくれて、灰色の衣を着る者獨り殘れるのみなりし頃 五二―五四
我は王國の統御の手綱のかたくわが手にあるを見ぬ、また新たに得たる大いなる力とあふるゝばかりの友ありければ 五五―五七
わが子のかうべぬきんでられて、やもめとなれる冠を戴き、かの受膏じゅかうやから彼よりいでたり 五八―六〇
大いなる聘物おくりものプロヴェンツァがわが血族より羞恥の心を奪はざりし間は、これにむべきわざもなくさりとてあしき行ひもなかりしに 六一―六三
かの事ありしよりこの方、あらびいつはりをもてかすむることをなし、後あがなひのためにポンティ、ノルマンディア及びグアスコニアを取れり 六四―六六
カルロ、イタリアに來れり、しかして贖のためにクルラディーノを犧牲いけにへとなし、後また贖のためにトムマーゾを天に歸らしむ 六七―六九
我見るに、今より後程なく來る一の時あり、この時到らばほかのカルロは己と己がやからの事をなほよく人に知らせんとてフランスを出づべし 七〇―七二
かれ身を固めず、ジュダのためせし槍をひつさげてひとりかしこをいで、これにて突きてフィレンツェの腹をやぶらむ 七三―七五
かれかくして國を得ず、罪と恥をえむ、これらは彼がかゝる禍ひを輕んずるにより、彼にとりていよ/\重し 七六―七八
我見るに、嘗てとらはれて船を出でしことあるカルロは、己がむすめを賣りてその價を爭ふこと恰も海賊が女の奴隷をあしらふに似たり 七九―八一
あゝ貪慾むさぼりよ、汝わが血族ちすぢを汝の許にひきてこれに己が肉をさへ顧みざらしめしほどなれば、このうへ何をなすべきや 八二―八四
我見るに、過去こしかた未來ゆくすゑの禍ひをちひさくみえしめんとて、百合フイオルダリーゾの花アラーニアに入り、クリストその代理者の身にてとらはれたまふ 八五―八七
我見るに、彼はふたゝび嘲られ、ふたゝびとをめ、生ける盜人の間に殺されたまふ 八八―九〇
我見るに、第二のピラート心殘忍なればこれにてもなは飽かず、法によらずして強慾の帆をかの殿みやの中まで進む 九一―九三
あゝ我主よ、聖意みこゝろの奧にかくれつゝ聖怒みいかりをうるはしうする復讎を見てわがよろこぶ時いつか來らむ 九四―九六
聖靈のたゞひとりの新婦はなよめについてわが語り、汝をしてその解説ときあかしを聞かんためわが方にむかはしめしかの詞は 九七―九九
晝の間我等の凡ての祈りにつゞく唱和なり、されど夜いたれば我等これに代へてこれと反する聲をあぐ 一〇〇―一〇二
そのとき我等はかの黄金こがねをいたく貪りて背信、盜竊、殺人の罪を犯せるピグマリオンと 一〇三―一〇五
飽くなきの求めによりて患艱なやみをえ常に人の笑ひを招く慾深きミーダのことをくりかへし 一〇六―一〇八
また分捕物えものを盜みとれるため今もこゝにてヨスエの怒りに刺さるとみゆる庸愚おるかなるアーカンのことをおもひ 一〇九―一一一
次にサフィーラとその夫を責め、エリオドロの蹴られしことをむ、我等はまたポリドロを殺せるポリネストルの汚名をして 一一二―
あまねく山をめぐらしめ、さて最後にさけびていふ、クラッソよ、黄金こがねあぢはいかに、告げよ、汝知ればなりと ―一一七
ひとりの聲高くひとりの聲低きことあり、こは情の我等をむちうちて或ひはつよく或ひは弱く語らしむるによる 一一八―一二〇
是故に晝の間我等のこゝにて陳ぶべき徳を我今ひとりいへるにあらず、たゞこのあたりにては我より外に聲を上ぐる者なかりしのみ。 一二一―一二三
我等既に彼を離れ、今はわれらの力を盡して路に勝たんとつとめゐたるに 一二四―一二六
このとき我は山の震ひ動くこと倒るゝ物に似たるを覺えき、是に於てかわが身恰も死に赴く人の如く冷ゆ 一二七―一二九
げにラートナが天の二の目を生まんとて巣を營める時よりさきのデロといふともかく強くはゆるがざりしなるべし 一三〇―一三二
ついではげしき喊聲さけびごゑ四方に起れり、師即ち我に近づき、わが導く間は汝恐るゝなかれといふ 一三三―一三五
至高處いとたかきところには榮光神にあれ。衆皆斯くいひゐたり、かくいひゐたるを我は身に近くしてその叫びの聞分きゝわけうべき魂によりてさとれるなりき 一三六―一三八
我等はかの歌を最初に聞ける牧者のごとく、あやしみとゞまりて動かず、震動ふるひ止み歌終るにおよびて 一三九―一四一
こゝに再び我等の聖なる行路たびぢにいでたち、既にいつものなげきにかへれる多くの地に伏す魂をみたり 一四二―一四四
若しわが記憶に誤りなくば、いかなる疑ひもわがかの時の思ひのうちにありとみえしもののごとく大いなるいくさを起して 一四五―
その解説ときあかしを我に求めしことあらじ、されどいそぎのためにはゞかりてこれをたゞさず、さりとて自から何事をも知るをえざれば ―一五〇
我は臆しつゝ思ひ沈みて歩みにき 一五一―一五三


   第二十一曲

サマーリアの女の乞ひ求めたる水を飮まではとゞまることなき自然のかわきに 一―三
なやまされ、かつはいそぎむちうたれつゝ、我わが導者に從ひてさゝはり多き道を歩み、正しき刑罰を憐みゐたるに 四―六
見よ、はや墓窟はかあなより起き出でたまへるクリストが途をゆく二人ふたりの者に現はれしこと路加ルーカふみしるさるゝごとく 七―九
一の魂我等にあらはる、我等かの伏したるむれを足元に見ゐたりしときこの者うしろに來りしかど我等これを知らざりければ彼まづ語りて 一〇―一二
わが兄弟達よ、神平安を汝等に與へたまへといふ、我等直ちに身をめぐらしぬ、而してヴィルジリオはふさはしき表示しるしをもてこれに答へて 一三―一五
後曰ひけるは。我を永遠とこしへ流刑るけいに處せしまことの法廷願はくは汝を福なる集會つどひの中に入れ汝に平和を受けしめんことを。 一六―一八
そは如何いかに、汝等神に許されて登るをうる魂に非ずば誰に導かれてそのきだをこゝまで踏みしや。彼かくいひ、いふも我等はく行けり 一九―二一
わが師。この者天使の描くしるしを着く、汝これを見ば汝は彼が善き民と共に治むるにいたるをさだかに知らむ 二二―二四
されど夜晝つむ女神めがみは、クロートが人各※(二の字点、1-2-22)のために掛けかつ押固おしかたむる一たばを未だ彼のためにり終らざるがゆゑに 二五―二七
汝と我の姉妹なるその魂は登り來るにあたり獨りにて來る能はざりき、そは物を見ること我等と等しからざればなり 二八―三〇
是故に彼に路を示さんため我はかれて地獄のひろき喉を出づ、またわがをしへの彼を導くをうる間は我彼に路を示さむ 三一―三三
されど汝若し知らば我等に告げよ、山今かの如くゆるげるは何故ぞや、またそのるゝ据に至るまで衆ひとしく叫ぶと見えしは何故ぞや。 三四―三六
この問ひよくわが願ひのかなめにあたれり、されば望みをいだけるのみにてわがかわきはやうすらぎぬ 三七―三九
彼曰ふ。この山の聖なる律法おきてはすべて秩序なきことまたはその習ひにあらざることをゆるさず 四〇―四二
この地一切の變異をまぬかる、たゞその原因もととなるをうべきは天が自ら與へて自ら受くるところの者のみ、この外にはなし 四三―四五
是故に雨も雹も雪も露もまた霜も、かの三のきだより成れる短ききざはしのこなたに落ちず 四六―四八
き雲もうすき雲も電光いなづまも、またかの世に屡※(二の字点、1-2-22)處を變ふるタウマンテのむすめも現はれず 四九―五一
乾ける氣は、わがいへる三の段の頂、ピエートロの代理者がその足をおくところよりうへに登らず 五二―五四
かしこより下は或ひは幾許いくばくか震ひ動かむ、されど上は、我その次第を知らざれども、地にかくるゝ風のために震ひ動けることたえてなし 五五―五七
たゞ魂の中に己が清きを感ずる者ありてちまたは昇らんとして進む時、この地震ひ、かのごときさけび次ぐ 五八―六〇
清きことの證左あかしとなるものは意志のみ、魂既に全く自由にその侶を變ふるをうるにいたればこの意志におそはれ且つこれを懷くを悦ぶ 六一―六三
意志はげに始めよりあり、されど願ひこれを許さず、こはさきに罪を求めし如く今神の義に從ひ意志にさからひて苛責を求むる願ひなり 六四―六六
我この苦患なやみの中に伏すこと五百年餘に及びこゝにはじめてまされる里に到らんとの自由の望みをいだけるがゆゑに 六七―六九
汝地の震ふを覺え、また山の信心深き諸※(二の字点、1-2-22)の靈の主(願はくは速かに彼等に登るをえさせたまへ)をめまつるを聞けるなり。 七〇―七二
彼斯く我等にいへり、しかしてかわき劇しければ飮むの喜び亦從ひて大いなるごとく、彼の言は我にいひがたき滿足を與へき 七三―七五
さとき導者。汝等をこゝに捕ふる網、その解くるさま、地のこゝに震ふ所以、汝等の倶に喜ぶところの物、我今皆これを知る 七六―七八
いざねがはくは汝の誰なりしやを我にしらしめ、また何故にこゝに伏してかく多くのを經たるやを汝の詞にて我にあらはせ。 七九―八一
かの靈答へて曰ふ。いと高き王の助けをうけて善きティトがジユダの賣りし血流れ出たる傷の仇をむくいし頃 八二―
最も人にあがめられかつ長く殘る名をえて我ひろく世に知らる、されど未だ信仰なかりき ―八七
わが有聲うせいの靈の麗しければ我はトロサびとなるもローマに引かれ、かしこにミルトをもて額を飾るをうるにいたれり 八八―九〇
世の人わが名を今もスターツィオと呼ぶ、われテーべを歌ひ、後また大いなるアキルレをうたへり、されど第二の荷を負ひて路に倒れぬ 九一―九三
さてわが情熱の種は、千餘の心を燃やすにいたれるかの聖なる焔よりいでて我をあたゝめし火花なりき 九四―九六
わがかくいふは「エーネイダ」の事なり、こは我には母なりき詩の乳母めのとなりき、これなくば豈我に一ドラムマのおもさあらんや 九七―九九
我若しヴィルジリオとを同じうするをえたらんには、わが流罪るざいとき滿つること一年ひととせおくるゝともいとはざらんに。 一〇〇―一〇二
これらの詞を聞きてヴィルジリオ我にむかひ聲なき顏にてもだせといへり、されど意志は萬事よろづのことを爲しがたし 一〇三―一〇五
そはゑみも涙もまづその源なる情に從ひ、その人いよ/\誠實なればいよ/\意志に背けばなり 一〇六―一〇八
我たゞ微笑ほゝゑめるのみ、されどそのさま※(「目+旬」、第3水準1-88-80)めくばせする人に似たれば、かの魂口を噤み、心のいとよくあらはるゝ處なる目を見て 一〇九―一一一
いふ。願はくは汝さいはひの中にかく大いなる勞苦をふるをえんことを、汝の顏今ゑみひらめきを我に見せしは何故ぞや。 一一二―一一四
我今左右に檢束をうく、かなたは我にもだせといひ、こなたは我にいへと命ず、是に於てか大息すれば 一一五―
わが師さとりて我に曰ふ。汝語るをおそるゝなかれ、語りて彼にそのかく心をこめて尋ぬるところの事を告ぐべし。 ―一二〇
是に於てか我。年へし靈よ、思ふに汝はわがほゝゑめるをあやしむならむ、されど我汝の驚きをさらに大いならしめんとす 一二一―一二三
わが目を導いて高きに到らしむるこの者こそは、かのヴィルジリオ、人と神々をうたふにあたりて汝に力を與へし者なれ 一二四―一二六
若しわがゑみ原因もとと思へるもの他にあらば、まことならずとしてこれを棄て、彼が事をいへる汝のことばまこと原因もととおもふべし。 一二七―一二九
わが師の足を抱かんとて彼既に身をかゞめゐたりき、されど師彼に曰ふ。兄弟よ、しかするなかれ、汝も魂汝の見る者も魂なれば。 一三〇―一三二
立上たちあがりつゝ。今汝は汝のために燃ゆるわが愛の大いなるをさとるをえむ、そは我等の身の空しきを忘れて 一三三―一三五
我はあたかも固體のごとく魂をあしらひたればなり 一三六―一三八


   第二十二曲

我等すでに天使をあとにす(こは我等を第六の圓にむかはせ、わが顏より一の疵をとりのぞける天使なり 一―三
彼は我等に義を慕ふ者の福なることを告げたり、而してその詞はたゞシチウントをもてこれを結びき) 四―六
また我はほかこみちを通れる時より身輕ければ、疲勞つかれを覺ゆることなくしてかの足早き二の靈に從ひつゝ歩みゐたるに 七―九
このときヴィルジリオ曰ふ。徳の燃やせし愛はその焔一たび外にあらはるればまた他の愛を燃やすを常とす 一〇―一二
是故にジヨヴェナーレが地獄のリムボの中なる我等の間にくだりて汝の情愛を我にあかせし時よりこの方 一三―一五
汝に對してわれ大いなる好意よしみを持てり、げにこれより固くはまだ見ぬ者と結べる人なし、かかれば今は此等のきだも我に短しと見ゆるなるべし 一六―一八
されど告げよ――若し心安きあまりにわが手綱ゆるみなば請ふ友として我を赦し、今より友いとして我とかたれ 一九―二一
貪婪むさぼりはいかで汝の胸の中、汝の勵みによりて汝に滿ちみちしごとき大なる智慧の間に宿るをえしや。 二二―二四
これらの詞をききてスターツィオまづ少しく笑を含み、かくて答へて曰ひけるは。汝の言葉はみな我にとりて愛のなつかしき表象しるしなり 二五―二七
それまことのことわりかくるゝがゆゑに我等に誤りて疑ひを起さしむる物げにしば/\現はるゝことあり 二八―三〇
汝が我をば世に慾深かりし者なりきと信ずることは汝の問ひよく我にあかしす、これ思ふにわがかの圈にゐたるによらむ 三一―三三
知るべし、我は却つてあまりに貪婪むさぼりに遠ざかれるため、幾千の月この放縱を罰せるなり 三四―三六
我若し汝が恰も人の性を憤るごとくさけびて、あゝ黄金わうごんの不淨の饑ゑよ汝人慾を導いていづこにか到らざらんと 三七―
いへる處に心をとめ、わが思ひを正さざりせば、今はまろばしつゝき牴觸を感ずるものを ―四二
かの時我はつひやすにあたりて手のあまりにひろく翼を伸ぶるをうるを知り、これを悔ゆることほかの罪の如くなりき 四三―四五
それ無智のために生くる間も死に臨みてもこの罪を悔ゆるあたはず、のち髮を削りて起き出づるにいたる者その數いくばくぞ 四六―四八
汝また知るべし、一の罪とともに、まさしくこれと相反する咎、そのみどりをこゝにらすを 四九―五一
是故にわれ罪を淨めんとてかの貪婪むさぼりのために歎く民の間にありきとも、これと反するとがのゆゑにこそこの事我に臨めるなれ。 五二―五四
牧歌の歌人いひけるは。汝ヨカスタの二重ふたへの憂ひのむごき爭ひを歌へるころは 五五―五七
クリオがこの詩に汝と關渉かゝりあふさまをみるに、善行よきおこなひにかくべからざる信仰未だ汝を信ある者となさざりしに似たり 五八―六〇
若し夫れ然らばいかなる日またはいかなるともしびぞや、汝がその後かの漁者に從ひて帆を揚ぐるにいたれるばかりに汝の闇を破りしは。 六一―六三
彼曰ふ。汝まづ我をパルナーゾのかたにみちびきてそのいはやに水をむすぶをえしめ、後また我を照して神のみもとに向はしめたり 六四―六六
汝の爲すところはあたかも夜燈火ともしびを己がうしろに携へてゆき、自ら益を得ざれどもあとなる人々をさとくする者に似たりき 六七―六九
そは汝のいへる詞に、世改まり義と人の古歸り新しきやから天より降るとあればなり 七〇―七二
我は汝によりて詩人となり汝によりて基督教徒クリスティアーノとなれり、されどわが概略おほよそゑがける物を尚良く汝に現はさんため我今手をべて彩色いろどらん 七三―七五
まことの信仰は永久とこしへの國の使者等つかひたちに播かれてすでにあまねく世に滿ちたりしに 七六―七八
わが今引ける汝のことば、新しき道を傳ふる者とその調しらべを同じうせしかば、彼等をおとづるることわが習ひとなり 七九―八一
かのドミチアーンが彼等を責めなやまししとき、わが涙彼等のなげきにともなふばかりに我は彼等を聖なる者と思ふにいたれり 八二―八四
われは世に在る間彼等をたすけぬ、彼等の正しき習俗ならはしは我をしてほかの教へをあなどらしめぬ 八五―八七
かくてわが詩にギリシアびとを導きてテーべの流れに到らざるさきにわれ洗禮バッテスモをうけしかど、おほやけ基督教徒クリスティアーンとなるをおそれて 八八―九〇
久しく異教のもとにかくれぬ、この微温ぬるみなりき我に四百年餘の間第四の圈をめぐらしめしは 九一―九三
されば汝、かゝるさいはひをかくしし葢をわがためにひらける者よ、若し知らば、我等が倶に登るをうべき道ある間に、我等の年へし 九四―
テレンツィオ、チェチリオ、プラウト及びヴァリオの何處いづこにあるやを我に告げよ、告げよ彼等罪せらるゝや、そは何の地方に於てぞや。 ―九九
わが導者答ふらく。彼等もペルシオも我もその他の多くの者も、かのムーゼより最も多く乳を吸ひしギリシアびととともに 一〇〇―一〇二
無明むみやうひとやの第一の輪の中にあり、我等は我等の乳母めのと等の常にとゞまる山のことをしばしばかたる 一〇三―一〇五
エウリピデ、アンティフォンテ、シモニーデ、アガートネそのほかそのかみ桂樹ラウロをもて額を飾れる多くのギリシア人かしこに我等と倶にあり 一〇六―一〇八
汝が歌へる人々のうちにては、アンティゴネ、デイフィレ、アルジア及び昔の如く悲しむイスメーネあり 一〇九―一一一
ランジアを示せる女あり、ティレジアのむすめとテーティ、デイダーミアとその姉妹等あり。 一一二―一一四
登りをはりて壁を離れしふたりの詩人は、ふたゝびあたりを見ることに心ひかれて今ともにもだし 一一五―一一七
晝の四人よたり侍婢はしためははやあとに殘されて、第五の侍婢ながえのもとにその燃ゆるさきをばたえず上げゐたり 一一八―一二〇
このときわが導者。思ふに我等は右の肩をふちにむけ、山を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)めぐること常の如くにせざるをえざらむ。 一二一―一二三
習慣ならはしはかしこにてかく我等のしるべとなれり、しかしてかの貴き魂のうけがへるため我等いよいよ疑はずして路に就けり 一二四―一二六
彼等はさきに我ひとりあとよりゆけり、我は彼等のかたる言葉に耳を傾け、詩作についての教へをきくをえたりしかど 一二七―一二九
このうるはしき物語たゞちにやみぬ、そは我等路の中央たゞなかに、にほひやはらかくして良きある一本ひともとの木を見たればなり 一三〇―一三二
あたかももみの、枝また枝と高きに從つて細きが如く、かの木は思ふに人の登らざるためなるべし、低きに從つて細かりき 一三三―一三五
われらの路の塞がれるかたにては、清き水高き岩より落ちて葉の上にのみちらばれり 一三六―一三八
ふたりの詩人樹にちかづけるに、一の聲葉の中よりさけびていふ。汝等はこの食物くひものに事缺かむ。 一三九―一四一
又曰ふ。マリアは己が口(今汝等のために物言ふ)の事よりも、婚筵のたふとくして全からむことをおもへり 一四二―一四四
昔のローマの女等はその飮料のみものに水を用ゐ、またダニエルロは食物くひものをいやしみて知識をえたり 一四五―一四七
いにしへ黄金こがねの如く美しかりき、饑ゑてつるばみあぢよくし、渇きて小川を聖酒ネッタレとなす 一四八―一五〇
蜜と蝗蟲いなごとはかの洗禮者バテイスタ曠野あらのにやしなへるかてなりき、是故に彼榮え、その大いなること 一五一―一五三
聖史の中にあらはるゝごとし。 一五四―一五六


   第二十三曲

我はあたかも小鳥を逐ひて空しく日を送る者の爲すごとくかの青葉に目をとめゐたれば 一―三
父にまさる者いひけるは。子よ、いざ來れ、我等は定まれる時をわかちて善く用ゐざるをえざればなり。 四―六
われ目とあゆみひとしく移して聖達ひじりたちに從ひ、その語ることを聞きつゝ行けども疲れをおぼえざりしに 七―九
見よ、なげきと歌ときこえぬ、主よわが唇をと唱ふるさま喜びとともに憂ひを生めり 一〇―一二
あゝやさしき父よ、我にきこゆるものは何ぞや。我斯くいへるに彼。こは魂なり、おそらくは行きつゝその負債おひめむすびを解くならむ。 一三―一五
たとへば物思ふ異郷の族人たびびと、路にて知らざる人々に追及おひしき、ふりむきてこれをみれども、その足をとゞめざるごとく 一六―一八
信心深き魂の一むれ、もだしつゝ、我等よりもはやく歩みて後方うしろより來り、過ぎ行かんとして我等を目安まもれり 一九―二一
彼等はいづれもまなこ窪みて光なく、顏あをざめ、そのかは骨の形をあらはすほどに痩せゐたり 二二―二四
思ふにゑを恐るゝこといと大いなりしときのエリシトネといふともそのためにかく枯れて皮ばかりとはならざりしならむ 二五―二七
我わが心の中にいふ。マリアその子をついばみしときイエルサレムを失へる民を見よ。 二八―三〇
眼窩めあなたまなき指輪に似たりき、OMOオモを人の顏に讀む者Mエムメをさだかに認めしなるべし 三一―三三
若しその由來を知らずば誰か信ぜん、果實このみと水のかをり、劇しき慾を生みて、かく力をあらはさんとは 三四―三六
彼等の痩するとはだいたはしく荒るゝ原因もと未だあきらかならざりしため、その何故にかく饑ゑしやを我今あやしみゐたりしに 三七―三九
見よ、一の魂、かうべ深處ふかみより目を我にむけてつら/\視、かくて高くさけびて、こはわがためにいかなる恩惠めぐみぞやといふ 四〇―四二
我何ぞ顏を見て彼の誰なるを知るをえむ、されどその姿の毀てるものその聲にあらはれき 四三―四五
この火花はかの變れるかたちにかゝはるわが凡ての記憶を燃やし、我はフォレーゼの顏をみとめぬ 四六―四八
彼請ひていふ。あゝ、乾けるかさぶたわがはだの色を奪ひ、またわが肉乏しとも、汝これに心をとめず 四九―五一
故に汝の身の上と汝を導くかしこの二の魂の誰なるやを告げよ、我に物言ふを否むなかれ。 五二―五四
我答へて彼に曰ふ。しにてさきに我に涙を流さしめし汝の顏は、かく變りて見ゆるため、かの時に劣らぬ憂ひを今我に與へて泣かしむ 五五―五七
されば告げよ、われ神をして請ふ、汝等をかくらす物は何ぞや、わがあやしむ間我にはしむる勿れ、心にほかの思ひ滿つればその人いふ事よろしきをえず。 五八―六〇
彼我に。永遠とこしへ思量はからひによりて我等の後方うしろなるかの水の中樹の中に力くだる、わがかく痩するもこれがためなり 六一―六三
己が食慾に耽れるため泣きつゝ歌ふこの民はみな饑ゑ渇きてこゝにふたゝび己を清くす 六四―六六
果實このみより、また青葉にかゝる飛沫みづけぶりよりいづる香氣かをり飮食のみくひの慾を我等のうちに燃やすなり 六七―六九
しかして我等のこの處を※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)めぐりて苦しみを新たにすることたゞ一たびにとゞまらず――われ苦しみといふ、まことになぐさめといはざるべからず 七〇―七二
そはクリストの己が血をもて我等を救ひたまへる時、彼をしてよろこびてエリといはしめし願ひ我等を樹下このもとに導けばなり。 七三―七五
我彼に。フォレーゼよ、汝世を變へてまさる生命いのちをえしよりこの方いまだ五とせの月日經ず 七六―七八
若し我等を再び神にとつがしむる善き憂ひの時到らざるまに、汝の罪を犯す力既に盡きたるならんには 七九―八一
汝いかでかこゝに來れる、我は汝を下なる麓、時の時をおぎなふところに今も見るならんとおもへるなりき。 八二―八四
是に於てか彼我に。わがネルラそのあふるゝ涙をもて我をみちびき、苛責の甘き※(「くさかんむり/陳」、第3水準1-91-23)いんちんを飮ましむ 八五―八七
彼心をこめし祈祷いのり歎息ためいきをもて、かの魂の待つ處なる山の腰より我を引きまた我を他の諸※(二の字点、1-2-22)の圓より救へり 八八―九〇
わが寡婦やもめわが深く愛せし者はその善行よきおこなひたぐひ少なきによりていよ/\神にめでよろこばる 九一―九三
そは婦人をんなつゝしみに於ては、サールディニアのバルバジアさへ、わがかの女を殘して去りしバルバジアよりはるかに上にあればなり 九四―九六
あゝなつかしき兄弟よ、我汝に何を告げんや、今を昔となさざる未來すでにわが前にあらはる 九七―九九
この時到らば教壇に立つ人、面皮めんぴ厚きフィレンツェの女等の、乳房ちぶさと腰をあらはしつゝそとに出るをいましむべし 一〇〇―一〇二
いかなる未開の女いかなるサラチーノの女なりとて、靈またはほか懲戒こらしめなきため身を被はずして出でしためしあらんや 一〇三―一〇五
されどかの恥知らぬ女等、若し※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)めぐり早き天が彼等の爲に備ふるものをさだかに知らば、今既に口をひらきてをめくなるべし 一〇六―一〇八
そはわが先見に誤りなくば、今子守歌ナンナを聞きてしづかに眠る者の頬に鬚ひぬまに彼等悲しむべければなり 一〇九―一一一
あゝ兄弟よ、今は汝の身の上を我にかくすことなかれ、見よ我のみかは、これらの者皆汝が日を覆ふところを凝視みつむ。 一一二―一一四
我即ち彼に。汝若し汝の我と我の汝といかに世をおくれるやをおもひいでなば、その記憶は今も汝をくるしめむ 一一五―一一七
わが前にゆく者我にかゝる生を棄てしむ、こは往日さきつひこれの――かくいひて日をさし示せり――姉妹の圓く現はれし時の事なり 一一八―一二〇
彼我を彼に從ひてゆくこのまことの肉とともに導いてけしを過ぎ、まことの死者をはなれたり 一二一―一二三
我彼に勵まされてかしこをいで、汝等世の爲に歪める者を直くするこの山を登りつつまた※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りつゝこゝに來れり 一二四―一二六
彼はベアトリーチェのあるところにわがいたらん時まで我をともなはむといふ、かしこにいたらば我ひとり殘らざるをえず 一二七―一二九
かく我にいふはこの者即ちヴィルジリオなり(我彼を指ざせり)、またこれなるは汝等の王國を去る魂なり、この地今 一三〇―一三二
その隅々すみ/″\までもゆるげるは彼のためなりき。


   第二十四曲

ことばあゆみを、歩言をおそくせず、我等は語りつゝあたかも順風に追はるゝ船のごとくく行けり 一―三
再び死にし者に似たる魂等はわが生くるを知り、我を見て驚愕おどろきを目のあなより吐けり 四―六
我續いてかたりていふ。彼若し伴侶とものためならずは、おそらくはなほ速かに登らむ 七―九
されど知らば我に告げよ、ピッカルダはいづこにありや、また告げよ、かく我を視る民の中に心をとむべき者ありや。 一〇―一二
わが姉妹(その美その善いづれまされりや我知らず)は既に高きオリムポによろこびて勝利かちの冠をうく。 一三―一五
彼まづ斯くいひて後。我等の姿斷食のためにかくしぼり取らるゝがゆゑに、こゝにては我等が名をも告ぐるをう 一六―一八
此は――指ざしつゝ――ボナジユンタ、ルッカのボナジユンタなり、またその先のきはだちて憔悴やつれし顏は 一九―二一
かつて聖なる寺院を抱けり、彼はトルソの者なりき、いま斷食によりてボルセーナのうなぎとヴェルナッチヤを淨む。 二二―二四
そのほか多くの者の名を彼一々我に告ぐるに、彼等皆名をいはるゝを厭はじとみえ、その一者ひとりだにさまをなすはあらざりき 二五―二七
我はウバルディーン・デラ・ピーラと、杖にて多くの民を牧せしボニファーチョとが、饑ゑの爲に空しくその齒を動かすを見たり 二八―三〇
我はメッセル・マルケーゼを見たり、この者フォルリにありし頃はかく劇しきかわきなく且つ飮むに便宜たより多かりしかどなほ飽く事を知らざりき 三一―三三
されど恰も見てその中よりひとりを擇ぶ人の如く我はルッカの者をえらびぬ、彼我の事を知るをいと希ふさまなりければ 三四―三六
彼はさゝやけり、我は彼がかく彼等を痩せしむる正義の苦痛いたみを感ずるところにてゼントゥッカといふを聞きし如くなりき 三七―三九
我曰ふ。あゝかく深く我と語るを望むに似たる魂よ、請ふ汝のいへることを我にさとらせ、汝の言葉をもて汝と我の願ひを滿たせよ。 四〇―四二
彼曰ふ。女生れていまだ※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かしらぎぬかづかず、この者わがまちを、人いかに誹るとも、汝の心にかなはせむ 四三―四五
汝この豫言を忘るゝなかれ、もしわが低語さゝやき汝の誤解を招けるならば、この後まことの事汝にこれをときあかすべし 四六―四八
されど告げよ、かの新しき詩を起し、戀を知る淑女等とそのはじめにいへる者是即ち汝なりや。 四九―五一
我彼に。愛我を動かせば我これに意を留めてそのわがうち口授くじゆするごとくうたひいづ。 五二―五四
彼曰ふ。あゝ兄弟よ、我今かのおほやけ證人あかしびととグイットネと我とをわが聞く麗はしき新しき調しらべのこなたにつなぐふしをみる 五五―五七
我よく汝等の筆が口授者くじゆしやにちかく附隨つきしたがひて進むをみる、われらの筆にはげにこの事あらざりき 五八―六〇
またなほ遠く先を見んとつとむる者も彼と此との調しらべ區別けぢめをこの外にはみじ。かくいひて心足れるごとくもだしぬ 六一―六三
ニーロのほとり冬籠ふゆごもる鳥、空にむらがつどひて後、なほも速かに飛ばんためつらなり行くことあるごとく 六四―六六
その痩すると願ひあるによりて身輕きかしこの民は、みなかうべをめぐらしつゝふたゝびその歩履あゆみをはやめぬ 六七―六九
また走りて疲れたる人その侶におくれ、ひとり歩みて腰のあへぎのしづまる時を待つごとく 七〇―七二
フォレーゼは聖なるむれをさきにゆかしめ、我とともにあとより來りていひけるは。我の再び汝に會ふをうるは何時いつぞや。 七三―七五
我彼に答ふらく。いつまで生くるや我知らず、されどわが歸ること早しとも、我わが願ひの中に、それよりはやくこの岸に到らむ 七六―七八
そはわが郷土ふるさととなりたる處は、日に日に自ら善を失ひ、そのいたましく荒るゝことはや定まれりとみゆればなり。 七九―八一
彼曰ふ。いざ行け、我見るに、この禍ひにかゝはりて罪の最も大いなるもの、一の獸の尾のもとにて曳かれ、罪赦さるゝためしなき溪にむかふ 八二―八四
獸はたえずはやさを増しつゝ一足毎にとくすゝみ、遂に彼を踏み碎きてその恥づべきむくろを棄つ 八五―八七
これらの輪未だ長く※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)めぐらざるまに(かくいひて目を天にむく)、わがことばのなほよく説明ときあかす能はざるもの汝にあきらかなるにいたらむ 八八―九〇
いざ汝あとに殘れ、この王國にては時いと尊し、汝と斯く相並びてゆかば、わが失ふところ多きに過ぎむ。 九一―九三
たとへば先登さきがけの譽をえんとて、馬上のむれの中より一人ひとりの騎士、馳せ出づることあるごとく 九四―九六
彼足をはやめて我等を離れ、我は世の大いなる軍帥ぐんすゐなりし二者ふたりとともに路に殘れり 九七―九九
彼既に我等の前を去ること遠く、わが目の彼に伴ふさま、わが心の彼の詞にともなふごとくなりしとき 一〇〇―一〇二
いま一もとの樹の、ゆたかにして盛なる枝我にあらはる、また我この時はじめてかなたにめぐれるなればその處甚だ遠からざりき 一〇三―一〇五
我見しに民その下にて手を伸べつゝ葉にむかひて何事をかよばはりゐたり、罪なき嬰兒をさなご物を求めて 一〇六―
乞へども乞はるゝ人答へず、かへつて願ひを増さしめんためその乞ふ物をかくさずして高くもたぐるもこのたぐひなるべし ―一一一
かくて彼等はあたかも迷ひ覺めしごとく去り、我等はかく多くのこひと涙をしりぞくる巨樹おほきのもとにたゞちにいたれり 一一二―一一四
汝等過ぎゆきて近づくなかれ、エーヴァのくらへる木この上にあり、これはもとかの樹よりいづ。 一一五―一一七
誰ならむ小枝の間よりかくいふ者ありければ、ヴィルジリオとスターツィオと我とは互ひに近く身を寄せつゝ聳ゆる岸のほとりを行けり 一一八―一二〇
かの者またいふ。雲間に生れしのろひの子等即ち飽いてその二重ふたへの腰をもてテゼオと爭へる者を憶へ 一二一―一二三
また貪り飮みしため、マディアンにむかひて山を下れるゼデオンがその侶となさざりし希伯來人エブレオびとを憶へ。 一二四―一二六
かく我等は二のへりの一を傳ひて、さちなきむくいのともなへる多食の罪の事をきゝつゝこゝを過ぎ 一二七―一二九
後身をゆるやかにしてさびしき路を行き、いづれも言葉なく思ひに沈みてゆたかに千餘の歩履あゆみをはこべり 一三〇―一三二
汝等何ぞたゞみたり行きつゝかく物を思ふや。ふと斯くいへる聲ありき、是に於てか我は恰もおぢおそるゝ獸の如くふるひ 一三三―一三五
その誰なるやを見んとてかうべを擧ぐればひとりの者みゆ、爐の中なる玻璃または金屬かねといふとも斯く光り 一三六―
かく赤くみゆるはあらじ、彼曰ふ。汝等登らんことをねがはばこゝより折れよ、往いて平和をえんとする者みなこなたにむかふ。 ―一四一
彼の姿わが目の力を奪へるため、我は身をめぐらして、あたかも耳に導かるゝ人の如く、わがふたりの師のうしろにいたれり 一四二―一四四
曉告ぐる五月の輕風そよかぜゆたかに草と花とを含み、動きてを放つごとくに 一四五―一四七
うるはしき風わが額の正中たゞなかにあたれり、我は神饌アムプロージャにほひを我に知らしめし羽の動くをさだかにしれり 一四八―一五〇
また聲ありていふ。大いなる恩惠めぐみに照され、あぢはひの愛飽くなき慾を胸に燃やさず常によろしきに從ひて饑うる者はさいはひなり。 一五一―一五三


   第二十五曲

時はのぼりの遲きを許さず、そは子午線を日は金牛に夜は天蠍にはやわたしたればなり 一―三
さればあたかも必要のむちにむちうたるゝ人、いかなる物あらはるゝとも止まらずしてその路を行くごとく 四―六
我等はひとりづつこみちに入りてきざはしを登れり(階狹きため昇る者並び行くをえず) 七―九
たとへばこうづるの雛、飛ぶをねがひて翼をあぐれど、巣を離るゝの勇なくして再びこれを收むるごとく 一〇―一二
わが問はんと欲する願ひ燃えてまた消え、我はたゞいひいださんと構ふる者のさまをなすに過ぎざりき 一三―一五
あゆみ速かなりしかどもわがなつかしき父はもださで、汝やじりまでひきしぼれることばの弓を射よといふ 一六―一八
この時我これにはげまされ、口を啓きていふ。滋養やしなひをうくるに及ばざるものいかにして痩するを得るや。 一九―二一
彼曰ふ。汝若しメレアグロの身が、炬火たいまつの燃え盡くるにつれて盡きたるさまを憶ひ出でなば、この事故にさとりがたきにあらざるべく 二二―二四
また鏡にうつる汝等の姿が、汝等の動くにつれて動くを思はば、今硬くみゆるもの汝に軟かにみゆるにいたらむ 二五―二七
されど汝望むがまゝに心を安んずることをえんため、見よ、こゝにスターツィオあり、我彼を呼び彼に請ひて汝の傷を癒さしむべし。 二八―三〇
スターツィオ答ふらく。我この常世とこよ状態ありさまを汝のをる處にて彼に説明ときあかすとも、こは汝のこひをわが否む能はざるが爲なれば咎むるなかれ。 三一―三三
かくてまたいふ。子よ、汝の心わが詞を見てこれを受けなば、これは即ち汝のたゞす疑ひを照す光とならむ 三四―三六
それ血の完全にして、渇ける脈に吸はるゝことなく、あたかも食卓つくゑよりはこびさらるゝ食物くひもののごとく殘るもの 三七―三九
人の諸※(二の字点、1-2-22)の肢體を營む力をば心臟の中に、これ此等の物とならんため脈を傳ひて出づるにいたるものなればなり 四〇―四二
いよ/\清くなるに及びて、この血は人のいふを憚かる處にくだり、後又そこより自然のうつはの中なる異なる血の上にしたゝり 四三―四五
二の血こゝに相合ふ、その一には堪ふるさがあり、また一にはその出づる處全きがゆゑに行ふ性あり 四六―四八
これ彼と結びてはたらき、まづ凝固こりかたまらせ、後己が材としてそのかたとゝのへる物に生命いのちを與ふ 四九―五一
活動の力恰も草木の魂の如きものとなりて(但し一は道程にあり一は彼岸に達す、異なるところたゞこれのみ)後 五二―五四
なほその作用はたらきをとゞめず、この物動きかつ感ずること海の菌の如きにいたれば、さらに己を種として諸※(二の字点、1-2-22)の力を組立てはじむ 五五―五七
子よ、生む者の心臟即ち自然が諸※(二の字点、1-2-22)の肢體に意を用ゐる處よりいづる力は今や既に弘がりて延ぶ 五八―六〇
されど汝は未だ生物のいかにして人間となるやを聞かず、こは汝よりさとかりし者の嘗て誤れる一の點なり 六一―六三
そは彼靜智に當つべき何の機官をも見ざるによりて、その教への中にこれを魂より離れしめたればなり 六四―六六
汝わが陳ぶるまことにむかひて胸をひらき、而して知るべし、胎兒における腦の組織くみたて全く成り終るや否や 六七―六九
第一の發動者、自然のかく大いなるわざをめでてこれにむかひ、力滿ちたる新しき靈を嘘入ふきいれたまひ 七〇―七二
靈はかしこにはたらきゐたるものを己が實體の中にひきいれ、たゞ一の魂となりて、且つ生き且つ感じ且つ自ら己をめぐる 七三―七五
汝このことばをふかくあやしむなからんため、思ひみよ、太陽の熱葡萄の樹よりしたゝる汁と相混あひまじりて酒となるを 七六―七八
ラケージスの絲盡くる時は、この魂、肉のつなぎを離れ、人と神とに屬するものをその實質において携ふ 七九―八一
ほか能力ちからはみなもだせども、記憶、了知及び意志の作用はたらきは却つてはるかに前よりも強し 八二―八四
かくて止まらずしてあやしくも自ら岸の一に落ち、こゝにはじめて己が行くべき路を知る 八五―八七
處一たび定まれば、構成いとなみの力たゞちにあたりを輝かし、そのさまもそのほども、生くる肢體におけるに同じ 八八―九〇
しかしてたとへば空氣雨を含むとき、日の光これにうつるによりて多くの色に飾らるるごとく 九一―九三
あたりの空氣はそこにとゞまれる魂が己の力によりてその上にす形をうく 九四―九六
かくてあたかも火の動くところ焔これにともなふごとく、新しき形靈にともなふ 九七―九九
この物この後これによりてその姿を現すがゆゑにオムブラと呼ばれ、またこれによりて凡ての官能をとゝのへ、見ることをさへ得るにいたる 一〇〇―一〇二
我等これによりて物言ひ、これによりて笑ふ、またこれによりて我等に涙あり歎息なげきあり(汝これをこの山の上に聞けるなるべし) 一〇三―一〇五
※(二の字点、1-2-22)の願ひまたはその他の情の我等に作用はたらきを及ぼすにしたがひ、影も亦姿を異にす、是ぞ汝のあやしとする事の原因もとなる。 一〇六―一〇八
我等はこの時はや最後の曲路にいたりて右にむかひ、心をほかにとめゐたり 一〇九―一一一
こゝにては岸焔の矢を射、ふちは風を上におくりてこれを追返さしめ、そこに一の路をく 一一二―一一四
されば我等は開きたる處を傳ひてひとり/″\に行かざるをえざりき、我はこなたに火を恐れかなたに下におつるをおそれぬ 一一五―一一七
わが導者曰ふ。かたく目の手綱をめてこゝを過ぎよ、たゞすこしの事のために足を誤るべければなり。 一一八―一二〇
この時こよなき憐憫あはれみの神と猛火のふところにうたふ聲我にきこえてわが心をばまたかなたにもむかはしむ 一二一―一二三
かくて我見しに焔の中をゆく多くの靈ありければ、我は彼等を見またわが足元あしもとをみてたえずわが視力をわかてり 一二四―一二六
聖歌終れば、彼等は高くわれ夫を知らずとさけび、後低く再びこの聖歌をうたひ 一二七―一二九
これを終ふればまた叫びて、ディアーナ森にとゞまりて、かのヴェーネレの毒を嘗めしエリーチェを逐へりといふ 一三〇―一三二
かくて彼等歌に歸り、後またさけびて、徳とえにしの命ずる如く貞操みさをを守れる妻と夫の事を擧ぐ 一三三―一三五
おもふに火に燒かるゝ間は、彼等たえずかく爲すなるべし、かゝる藥かゝる食物くひものによりてこそ 一三六―一三八
そのきずつひにふさがるなれ 一三九―一四一


   第二十六曲

我等かくふちを傳ひ一列ひとつらとなりて歩める間に、善き師しば/\いふ。心せよ、わが誡めを空しうするなかれ。 一―三
はや光をもて西をあまねく蒼より白に變ふる日は、わが右の肩にあたれり 四―六
我は影によりて焔をいよ/\赤く見えしめ、また多くの魂のかゝる表徴しるしにのみ心をとめつゝ行くを見たり 七―九
彼等のわが事を語るにいたれるもこれが爲なりき、かれらまづ、彼はむなしき身のごとくならずといふ 一〇―一二
かくていくたりか、燒かれざる處に出でじとたえず心を用ゐつゝ、その進むをうるかぎりわがかたに來れる者ありき 一三―一五
あゝ汝おそき歩履あゆみのためならずして恐らくはうやまひのために侶のあとより行く者よ、かわきと火に燃ゆる我に答へよ 一六―一八
汝の答を求むる者我獨りに非ず、此等の者皆これに渇く、そのはげしきにくらぶればインドびと又はエチオピア人のつめたき水にかわくも及ばじ 一九―二一
請ふ我等に告げよ、汝未だ死のあみの中に入らざるごとく、身を壁として日をさへぎるはいかにぞや。 二二―二四
そのひとり斯く我にいへり、また若しこの時新しき物現はれて心をひくことなかりせば、我は既にわが身の上をあかせしなるべし 二五―二七
されどこの時顏をこの民にむけ燃ゆる路の正中たゞなかをあゆみて來る民ありければ、我は彼等をみんとて詞をとゞめぬ 二八―三〇
我見るにかなたこなたの魂みないそぎ、たがひに接吻くちづけすれども短き會釋ゑしやくをもて足れりとして止まらず 三一―三三
あたかも蟻がその黒めるむれの中にてたがひに口を觸れしむる(こはその路とさちとをさぐるためなるべし)に似たり 三四―三六
したしみの會釋をはれば、未だ一歩も進まざるまに、いづれも競うてその聲を高くし 三七―三九
新しきむれは、ソッドマ、ゴモルラといひ、殘りの群は、牡牛をさそひて己の慾を遂げんためパシフェの牝牛の中に入るといふ 四〇―四二
かくてたとへば群鶴むらづるの、一部はリフエの連山やま/\にむかひ、また一部は砂地すなぢにむかひ、これ氷をかれ日を厭ひて飛ぶごとく 四三―四五
民の一むれかなたにゆき、一群こなたに來り、みな泣きつゝ、さきにうたへる歌と、彼等にいとふさはしき叫びに歸れり 四六―四八
また我に請へるかの魂等は、聽くの願ひをその姿にあらはしつゝ前の如く我に近づきぬ 四九―五一
我斯く再び彼等の望みを見ていひけるは。あゝいつか必ず平安を享くる魂等よ 五二―五四
めるも熟まざるもわが身かの世に殘るにあらず、その血その骨節ふしみな我とともにこゝにあり 五五―五七
我こゝより登りてわがめしひを癒さんとす、我等の爲に恩惠めぐみを求むる淑女天に在り、是故にわれ肉體を伴ひて汝等の世を過ぐ 五八―六〇
ねがはくは汝等の大望速かに遂げ、愛の滿ち/\且ついと廣く弘がる天汝等をすまはしむるにいたらんことを 六一―六三
請ふ我に告げてこの後紙にしるすをえしめよ、汝等は誰なりや、また汝等のかたにゆくむれは何ぞや。 六四―六六
粗野なる山人やまびと都に上れば、心奪はれ思ひ亂れて、あたりをみつゝ言葉なし 六七―六九
かの魂等またみなかくのごとく見えき、されど驚愕おどろき(貴き心の中にてはそのしづまること早し)の重荷おろされしとき 七〇―七二
さきに我に問へる者またいひけるは。福なる哉汝生を善くせんとてこの地の經驗を船に載す 七三―七五
我等と共に來らざる民の犯せる罪は、そのかみ勝誇れるチェーザルをして王妃といへる罵詈のゝしりの叫びを聞くにいたらしめしものなりき 七六―七八
是故に汝等の聞けるごとく彼等自ら責めてソッドマとさけびて去り、その恥をもて焔をたすく 七九―八一
我等の罪は異性によれり、されど獸の如く慾に從ひ、人の律法おきてを守らざりしがゆゑに 八二―八四
我等彼等とわかるゝ時は、かの獸となれる板の内にて獸となれる女の名を讀み、自ら己をはづかしむ 八五―八七
汝既に我等の行爲おこなひと我等の犯せる罪を知る、恐らくはさらに我等の名を知るを望むべけれど告ぐるに時なく又我しかするをえざるなるべし 八八―九〇
たゞわが身については我汝の願ひを滿みたさむ、我はグイード・グィニツェルリなり、未だ最後いまはとならざる先に悔いしため今既に罪を淨む。 九一―九三
我及び我にまさりて愛のうるはしきけだかき調しらべかなでしことある人々の父かく己が名をいふを聞きしとき 九四―
我はさながらリクルゴの憂ひのうちに再び母をみしときの二人ふたりの男の子の如くなりき、されど彼等のごとく激せず ―九九
たゞ物を思ひつゝ長く彼を見てあゆみ、聞かず語らず、また火をおそれてかなたに近づくことをせざりき 一〇〇―一〇二
かくてわが目飽くにおよび、われかたく誓ひをたてて彼のために能くわが力を盡さんと告ぐれば 一〇三―一〇五
彼我に。わが汝より聞ける事の我心にとゞむる痕跡あといとあざやかなるをもてレーテもこれを消しまたは朦朧おぼろならしむるあたはず 一〇六―一〇八
されど今の汝の詞我にまことを誓へるならば、請ふ告げよ、汝の我を愛すること目にもことばにもかくあらはるゝは何故ぞや。 一〇九―一一一
我彼に。汝のうるはしき歌ぞそれなる、近世ちかきよの習ひつゞくかぎりは、その文字もじ常に愛せらるべし。 一一二―一一四
彼曰ふ。あゝ兄弟よ、わが汝にさししめす者は(前なる一の靈を指ざし)我よりもよくその國語くにことばきたへし者なり 一一五―一一七
戀の詩散文の物語にてはかれ衆にぬきんず、レモゼスの人をもてこれにまさるとなすは愚者なり、彼等をそのいふにまかせよ 一一八―一二〇
彼等はまことよりもうはさをかへりみ、わざことわりを問はざるさきにはやくも己が説を立つ 一二一―一二三
多くの舊人ふるきひとのグイットネにおけるも亦斯の如し、さらに多くの人を得てまことの勝つにいたれるまでは彼等たゞ響きを傳へて彼のみをめぬ 一二四―一二六
さて汝ゆたかなる恩惠めぐみをうけて、僧侶のかしらにクリストを戴くかの僧院に行くことをえば 一二七―一二九
わが爲に彼に向ひて一遍の主のパーテルノストロを唱へよ、但しこの世界にて我等の求むる事にて足る、こゝにては我等また罪を犯すをえざれば。 一三〇―一三二
かくいひて後、後方うしろに近くゐたる者を己に代らしむるためなるべし、恰も水底みなそこ深く沈みゆく魚の如く火に入りて見えざりき 一三三―一三五
我は指示されし者のかたに少しく進みて、わが願ひ彼の名のためにゆかしき處を備へしことを告ぐれば 一三六―一三八
彼こゝろよく語りて曰ふ。汝の問ひのねんごろなるにめでて、我は己を汝にかくすこと能はず、またしかするをねがはざるなり 一三九―一四一
我はアルナルドなり、泣きまた歌ひてゆく、われ過去こしかたをみてわがおろかなりしを悲しみ、行末ゆくすゑをみてわが望む日の來るを喜ぶ 一四二―一四四
このきざはしの頂まで汝を導く權能ちからをさして今我汝に請ふ、時到らばわが苦患なやみおもへ。 一四五―一四七
かくいひ終りて彼等を淨むる火の中にかくれぬ 一四八―一五〇


   第二十七曲

今や日はその造主つくりぬし血を流したまへるところに最初はじめの光をそゝぐ時(イベロは高き天秤はかりの下にあり 一―
ガンジェの浪は亭午まひるに燒かる)とその位置を同じうし、晝既に去らんとす、この時喜べる神の使者つかひ我等の前に現はれぬ ―六
彼焔のそと岸の上に立ちて、心の清き者は福なりとうたふ、その聲さわやかにしてはるかにこの世のものにまされり 七―九
我等近づけるとき彼曰ひけるは。聖なる魂等よ、まづ火に噛まれざればこゝよりさきに行くをえず 一〇―
汝等この中に入りまたかなたにうたふ歌に耳を傾けよ。かくいふを聞きしとき我はあたかも穴にいけらるゝ人の如くになりき ―一五
手を組合くみあはせつゝ身をその上より前に伸べて火をながむれば、わが嘗て見し、人のからだの燒かるゝありさま、あざやかに心に浮びぬ 一六―一八
善き導者等わが方にむかへり、かくてヴィルジリオ我に曰ふ。我子よ、こゝにては苛責はあらむ死はあらじ 一九―二一
おもへ、憶へ……ジェーリオンに乘れる時さへ我汝を安らかに導けるに、神にいよいよ近き今、しかするをえざることあらんや 二二―二四
汝かたく信ずべし、たとひこの焔の腹の中に千年ちとせの長き間立つとも汝は一すぢの髮をも失はじ 二五―二七
若しわがことばの僞なるを疑はば、焔にちかづき、己が手に己が衣の裾をとりてみづからこれを試みよ 二八―三〇
いざ棄てよ、一切の恐れを棄てよ、かなたにむかひて心安く進みゆくべし。かくいへるも我なほ動かずわが良心に從はざりき 三一―三三
わがなほかたくなにして動かざるをみて彼少しく心をなやまし、子よ、ベアトリーチェと汝の間にこの壁あるを見よといふ 三四―三六
眞紅しんくとなりしとき、死に臨めるピラーモがティスベの名を聞き目を開きてつらつら彼を見しごとく 三七―三九
わが思ひの中にたえずき出づる名を聞くや、わが固き心やはらぎ、我はさとき導者にむかへり 四〇―四二
是に於てか彼かうべを振りて、我等此方こなたに止まるべきや如何いかにといひ、恰も一の果實このみに負くる稚兒をさなごにむかふ人の如くにほゝゑみぬ 四三―四五
かくて彼我よりさきに火の中に入り、またこの時にいたるまでながく我等の間をわかてるスターツィオに請ひて我等のあとより來らしむ 四六―四八
我火の中に入りしとき、その燃ゆることかぎりなく劇しければ、煮え立つ玻璃の中になりとも身を投入れてひやさんとおもへり 四九―五一
わがやさしき父は我をはげまさんとて、ベアトリーチェの事をのみ語りてすゝみ、我既に彼の目を見るごとくおぼゆといふ 五二―五四
かなたにうたへる一の聲我等を導けり、我等はこれにのみ心をとめつゝ登るべきところにいでぬ 五五―五七
わが父に惠まるゝ者よ來れ。かしこにありてわが目をまばゆうし我に見るをえざらしめたる一の光の中にかくいふ聲す 五八―六〇
またいふ。日は入りゆふべが來る、とゞまるなかれ、西の暗くならざる間に足をはやめよ。 六一―六三
路直く岩を穿ちて東の方にのぼるがゆゑに、すでに低き日の光を我はわが前より奪へり 六四―六六
しかしてわが影消ゆるを見て我もわが聖等ひじりたちも我等の後方うしろに日の沈むをしりたる時は、我等の試みしきだなほ未だ多からざりき 六七―六九
はてしなくひろき天涯未だこぞりて一の色とならず、夜その闇をことごとく頒ち與へざるまに 七〇―七二
我等各一のきだを床となしぬ、そはこの山のさが、登るの願ひよりもその力を我等より奪へばなり 七三―七五
食物くひものをえざるさきには峰の上に馳せ狂へる山羊も、日のいと熱き間蔭にやすみて聲をもいださず 七六―
その牧者(彼杖にもたれ、もたれつゝそのむれふ)にまもられておとなしく倒嚼にれがむことあり ―八一
またそとに宿る牧人、そのしづかなる群のあたりに夜をすごして、野の獸のこれを散らすを防ぐことあり 八二―八四
我等みたりもまたみなかくの如くなりき、我は山羊に彼等は牧者に似たり、しかして高き岩左右より我等をかこめり 八五―八七
そとはたゞ少しく見ゆるのみなりしかど、我はこの少許すこしの處に、常よりもあざやかにしてかつ大なる星を見き 八八―九〇
我かく倒嚼にれがみ、かく星をながめつゝ睡りに襲はる、即ち事をそのいまだ出來いでこぬさきにに屡※(二の字点、1-2-22)告知らす睡りなり 九一―九三
たえず愛の火に燃ゆとみゆるチテレアがはじめてその光を東の方よりこの山にそゝぐ頃かとおもはる 九四―九六
我は夢に、若き美しきひとりの淑女の、花を摘みつゝ野を分けゆくを見しごとくなりき、かの者うたひていふ 九七―九九
わが名を問ふ者あらば知るべし、我はリーアなり、我わがために一の花圈はなかざりを編まんとて美しき手を動かして行く 一〇〇―一〇二
鏡にむかひて自ら喜ぶことをえんため我こゝにわが身を飾り、わが妹ラケールは終日ひねもす坐してその鏡を離れず 一〇三―一〇五
われ手をもてわが身を飾るをねがふごとくに彼その美しき目を見るをねがふ、見ること彼の、行ふこと我の心をたらはす。 一〇六―一〇八
異郷の旅より歸る人の、わがにちかく宿るにしたがひ、いよ/\づるあかつきの光 一〇九―一一一
はや四方より闇を逐ひ、闇とともにわが睡りを逐へり、我即ち身をおこせば、ふたりの大いなる師この時既に起きゐたり 一一二―一一四
げに多くの枝によりて人のしきりに尋ね求むる甘きは今日汝のゑをしづめむ。 一一五―一一七
ヴィルジリオかく我にいへり、またこれらのことばのごとく心にかなたまものはあらじ 一一八―一二〇
わが登るの願ひ願ひに加はり、我はこの後一足毎に羽えいでて我に飛ばしむるをおぼえき 一二一―一二三
我等きざはしをこと/″\く渡り終りて最高いとたかきだの上に立ちしとき、ヴィルジリオ我にその目をそゝぎて 一二四―一二六
いふ。子よ、汝既に一時ひとときの火と永久とこしへの火とを見てわが自から知らざるところに來れるなり 一二七―一二九
われさとりわざをもて汝をこゝにみちびけり、今より汝は好む所を導者となすべし、汝けはしき路を出で狹き路をはなる 一三〇―一三二
汝の額を照す日を見よ、地のおのづからこゝに生ずる若草と花と木とを見よ 一三三―一三五
涙を流して汝の許に我を遣はせし美しき目のよろこびて來るまで、汝坐するもよし、これらの間を行くもよし 一三六―一三八
わがことばをも表示しるしをもこの後望み待つことなかれ、汝の意志は自由にして直く健全すこやかなればそのむかふがまゝに行はざれば誤らむ 一三九―一四一
是故にわれ冠と帽を汝に戴かせ、汝を己が主たらしむ。


   第二十八曲

あらたに出し日の光を日にやはらかならしむる茂れる生ける神の林の内部うちをも周邊まはりをもさぐらんとて 一―三
我ためらはず岸を去り、しづかに/\野を分けゆけば、地はいたるところ佳香よきかを放てり 四―六
うるはしき空氣變化かはりなく動きてわが額を撃ち、そのさまさながら軟かき風の觸るゝに異ならず 七―九
※(二の字点、1-2-22)の枝これに靡きてふるひつゝ、みな聖なる山がその最初はじめの影を投ぐるかたにかゞめり 一〇―一二
されどはなはだしくたわむにあらねば、こずゑの小鳥その一切のわざを棄つるにいたらず 一三―一五
いたくよろこびて歌ひつゝ、そよふく朝風を葉の間にうけ、葉はエオロがシロッコを解き放つとき 一六―
キアッシの岸の上なる松の林の枝より枝に集まるごとき音をもてその調しらべにあはせぬ ―二一
しづかなる歩履あゆみ我を運びて年へし林の中深く入らしめ、我既にわがいづこより入來れるやを見るあたはざりしとき 二二―二四
見よわが行手を遮れる一の流れあり、その細波さゞなみをもて、ふちえ出し草を左に曲げぬ 二五―二七
日にも月にもかしこを照すをゆるさざる永劫の蔭に蔽はれ、黒み黒みて流るれども 二八―
一物として隱るゝはなきかの水にくらぶれば、世のいと清き水といふともみなまじりありとみゆべし ―三三
わが足とどまり、わが目は咲ける木々の花のたぐひ甚だ多きを見んとて小川のかなたに進めるに 三四―三六
このときあたかも物不意にあらはれて人を驚かし、ほかの思ひをすべて棄てしむることあるごとくかしこにあらはれし 三七―三九
たゞひとりの淑女あり、歌をうたひて歩みつゝ、その行道ゆくみちをこと/″\くいろどれる花また花を摘みゐたり 四〇―四二
我彼に曰ふ。あゝ美しき淑女よ、心のあかしとなる習ひなる姿に信を置くをうべくば愛の光にあたゝまる者よ 四三―
ねがはくは汝の歌の我に聞ゆるにいたるまで、この流れのかたにすゝみきたれ ―四八
汝は我にプロセルピーナが、その母彼を彼春を失へるとき、いづこにゐしやいかなるさまにありしやを思ひ出でしむ。 四九―五一
たとへば舞をまふ女の、その二のあしうらを地にまた互ひに寄せてすゝみ、ほとんど一足かたあしを一足の先に置かざるごとく 五二―五四
彼は紅と黄の花を踏みてこなたにすゝみ、そのさま目をしとやかにたるゝ處女をとめに異ならず 五五―五七
かくて麗はしき聲その詞とともに我に聞ゆるまで近づきてわが願ひを滿たせり 五八―六〇
まさしく草がかの美しき流れの波に洗はるゝところに來るやいなや、彼わがためにその目を擧げぬ 六一―六三
思ふにヴェーネレのあやまちてわが子に刺されし時といふとも、その眉の下に輝ける光かく大いならざりしなるべし 六四―六六
彼は種なきにかの高きをかに生ずる色をなほも己が手をもて摘みつゝ、右の岸に微笑ほゝゑみゐたり 六七―六九
流れは三歩我等を隔てき、されどセルセの渡れる(このこと今も人のすべての誇りを誡しむ)エルレスポントが 七〇―七二
セストとアビードの間の荒浪のためにレアンドロよりうけし怨みも、かの流れが、かの時開かざりしために我よりうけし怨みにはまさらじ 七三―七五
彼曰ふ。汝等は今初めて來れる者なれば、人たる者の巣に擇ばれしこの處に我のほほゑむをみて 七六―七八
驚きかつあやしむならむ、されど汝我を樂しませ給へりといへる聖歌は光を與へて汝等の了知さとりの霧を拂ふに足るべし 七九―八一
また汝先に立つ者我に請へる者よ、聞くべきことあらばいへ、我はいかなる汝の問ひにもたらはぬ事なく答へんと心構こゝろがまへして來れるなれば。 八二―八四
我曰ふ。水と林の響きとはあらたに起せるわが信を攻む、そはわが聞けるところ今見るところと異なればなり。 八五―八七
是に於てか彼。我は汝のあやしむものにそのいで來る原因もとあるを陳べて汝を蔽ふ霧をきよめむ 八八―九〇
それ己のみ己が心にかなふ至上の善は人を善にまた善行の爲に造り、この處をこれに與へて限りなき平和の契約となせり 九一―九三
人己が越度をちどによりてたゞ少時しばらくこゝにとゞまり、己が越度によりて正しき笑ひと麗はしき悦びを涙と勤勞ほねをりに變らせぬ 九四―九六
水より地よりたちのぼりてその力の及ぶかぎり熱に從ひゆくもののこの下に起すみだれが 九七―九九
人と戰ふなからんため、この山かく高く天に聳えき、しかしてそのとざさるゝところより上はみなこれを免かる 一〇〇―一〇二
さて空氣は、若しその※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)まはることいづこにか妨げられずば、こと/″\く第一の囘轉とともに圓を成してめぐるがゆゑに 一〇三―一〇五
かゝる動き、純なる空氣の中にありて全くほだしなやこの高嶺たかねを撃ち、林に聲を生ぜしむ、これその繁きによりてなり 一〇六―一〇八
また撃たれし草木くさきにはそのさがを風に滿たすの力あり、この風その後吹きめぐりてこれをあたりに散らし 一〇九―一一一
かなたの地は己が特質と天の利にしたがひて孕み、さが異なる諸※(二の字点、1-2-22)の木を生む 一一二―一一四
かゝればわがこのことばを聞く者、たとひ見ゆべき種なきにかしこに萌えいづる草木を見るとも、世の不思議とみなすに足らず 一一五―一一七
汝知るべし、この聖なる廣野ひろのには一切の種滿ち、かの世に摘むをえざるのあることを 一一八―一二〇
また汝の今見る水は、みなぎるゝ河のごとくに、冷えて凝れる水氣のおぎなふ脈より流れいづるにあらず 一二一―一二三
變らず盡きざる泉よりいづ、而して泉は神の聖旨みむねによりて、その二方の口よりそゝぐものをば再び 一二四―一二六
こなたには罪の記憶を奪ふ力をもちてくだりゆき、かなたには諸※(二の字点、1-2-22)善行よきおこなひを憶ひ起さしむ 一二七―一二九
こなたなるはレーテと呼ばれ、かなたなるをエウノエといふ、この二の水まづ味はれざればその功徳くどくなし 一三〇―一三二
こはほかの凡てのあぢはひにまさる、我またさらに汝に教ふることをせずとも、汝のかわきはや全くやみたるならむ、されど 一三三―一三五
己がこのみにまかせてなほ一の事を加へむ、思ふにわがことばたとひ約束の外にいづとも汝の喜びに變りはあらじ 一三六―一三八
いにしへ黄金こがねとそのさち多きさまを詩となせる人々、恐らくはパルナーゾにて夢にこの處を見しならむ 一三九―一四一
こゝに罪なくして人住みぬ、こゝにとこしへの春とすべてのあり、彼等の所謂ネッタレは是なり。 一四二―一四四
我はこの時身を後方うしろにめぐらしてわがふたりの詩人にむかひ、彼等が笑を含みつゝこの終りの言をきけるを見 一四五―一四七
後ふたゝび目をかの美しき淑女にむけたり 一四八―一五〇


   第二十九曲

彼かたりをはれるとき、戀する女のごとく歌ひて、罪をおほはるゝものは福なりといひ 一―三
かくてたとへばひとりは日を見ひとりはこれを避けんとて林の蔭をあゆみゆきしさびしきニンファのむれのごとくに 四―六
岸をつたひ流れにさかのぼりて進み、また我はわが歩みをこまかにしてそのこまかなる歩みにあはせ、これと相並びて行けり 七―九
ふたりの足數合せて百とならざるさきに、岸兩つながら等しくその方向むきを變へたれば、我は再び東にむかへり 一〇―一二
またかくしてゆくことなほ未だ遠からざりしに、淑女全くわが方にむかひて、わが兄弟よ、視よ、耳を傾けよといふ 一三―一五
このとき忽ち一の光かの大なる林の四方に流れ、我をして電光いなづまなるかと疑はしめき 一六―一八
されど電光はその現はるゝごとく消ゆれど、この光は長くつゞきていよ/\輝きわたりたれば、我わが心の中に是何物ぞやといふ 一九―二一
また一のうるはしき聲あかるき空をわけて流れぬ、是に於てか我は正しき憤りよりエーヴァの膽のふときを責めたり 二二―二四
彼は造られていまだ程なきたゞひとりの女なるに、天地あめつち神にしたがへるころ、被物おほひの下に、しのびてとゞまることをせざりき
彼その下に信心深くとゞまりたりせば、我は早くまた永くこのいひがたき樂しみを味へるなるべし 二八―三〇
かぎりなき樂しみの初穗かく豐かなるに心奪はれ、たゞいよ/\大いなる喜びをうるをねがひつゝ、我その間を歩みゐたるに 三一―三三
我等の前にて縁の技の下なる空氣燃ゆる火のごとくかゞやき、かのうるはしきおと今は歌となりて聞えぬ 三四―三六
あゝげに聖なる處女をとめ等よ、我汝等のために饑ゑ、寒さ、または眠りをしのびしことあらば、今そのむくいを請はざるをえず 三七―三九
いざエリコナよわがためにそゝげ、ウラーニアよ、歌の侶とともに我をたすけて、おもふだに難き事をば詩となさしめよ 四〇―四二
さてその少しく先にあたりてあらはれし物あり、我等と是とはなほ離るゝこと遠かりければ、誤りて七の黄金こがねの木と見えぬ 四三―四五
されど相似て官能を欺く物その時性の一をも距離へだゝりのために失はざるまで我これに近づけるとき 四六―四八
理性に物をわかたしむる力は、これの燭臺なるとうたへる歌のオザンナなるをさとりたり 四九―五一
この美しき一組の燭臺、上より焔を放ちてそのあざやかなること澄みわたれる夜半よはの空の望月もちづきよりもはるかにまされり 五二―五四
我はいたくおどろきて身をめぐらし、善きヴィルジリオにむかへるに、我に劣らざる怪訝あやしみを顏にあらはせる外答へなかりき 五五―五七
我即ちふたゝび目をかのたふとき物にむくれば、新婦はなよめにさへ負くるならんとおもはるゝほどいとゆるやかにこなたにすゝめり 五八―六〇
淑女我を責めていふ。汝いかなればかくたゞ生くる光のさまに心を燃やし、その後方うしろより來るものを見ざるや。 六一―六三
このとき我見しに、白き衣を着(かくばかり白き色世にありしためしなし)、己が導者に從ふごとく後方うしろより來る民ありき 六四―六六
水はわが左にかゞやき、我これを視れば、あたかも鏡のごとくわが身の左の方をうつせり 六七―六九
われ岸のこなた、たゞ流れのみ我をへだつるところにいたれるとき、なほよくみんと、わが歩みをとゞめて 七〇―七二
視しに、焔はそのうしろに彩色いろどれる空氣を殘してさきだちすゝみ、さながら流るゝ小旗のごとく 七三―七五
空氣は七のすぢにわかたれ、これに日の弓、デリアの帶のすべての色あり 七六―七八
これらのはたうしろかたに長く流れてわが目及ばず、またわがはかるところによれば左右のはしにあるものの相離るゝこと十歩なりき 七九―八一
かく美しきさにおほはれ、二十四人の長老、百合フイオルダリーゾの花の冠をつけてふたりづつならび來れり 八二―八四
みなうたひていふ。アダモの女子むすめのうちにて汝は福なる者なり、ねがはくは汝の美にとこしへの福あれ。 八五―八七
かの選ばれし民、わが對面むかひなるかなたの岸の花と新しき草をはなれしとき 八八―九〇
あたかも天にて光光に從ふごとく、そのうしろより四の生物いきもの※(二の字点、1-2-22)かしらに縁の葉をいただきて來れり 九一―九三
皆六の翼をもち、目その羽に滿つ、アルゴの目若し生命いのちあらばかくのごとくなるべし 九四―九六
讀者よ、彼等の形をしるさんとて我またさらに韻語を散らさじ、そは他のつひえへられてこの費を惜しまざること能はざればなり 九七―九九
エゼキエレを讀め、彼は彼等が風、雲、火とともに寒き處より來るを見てこれをゑがけり 一〇〇―一〇二
わがこゝにみし彼等のさまもまたかれのふみにいづるものに似たり、但し羽については、ジヨヴァンニ彼と異なりて我と同じ 一〇三―一〇五
これらの四の生物いきものの間を二の輪ある一の凱旋車占む、一頭のグリフォネその頸にてこれを曳けり 一〇六―一〇八
この者二の翼を、中央なかの一と左右の三のすぢの間に伸べたれば、その一をもたずそこなはず 一〇九―一一一
翼はさきの見えざるばかり高くあがれり、その身のうちに鳥なるところはすべて黄金こがねにてほかはみな紅まじれる白なりき 一一二―一一四
アフリカーノもアウグストもかく美しき車をもてローマを喜ばせしことなきはいふに及ばず、日の車さへこれに比ぶればはえなからむ 一一五―一一七
(即ち路をあやまれるため、信心深きテルラの祈りによりてジョーヴェのくすしき罰をうけ、燒盡されし日の車なり) 一一八―一二〇
右の輪のほとりには、舞ひめぐりつゝ進み來れるみたりの淑女あり、そのひとりは、火の中にては見分け難しと思はるゝばかりに赤く 一二一―一二三
次なるは、肉も骨も縁の玉にて造られしごとく、第三なるは、新たにれる雪に似たり 一二四―一二六
或時は白或時は赤ほかのふたりをみちびくと見ゆ、しかしてその歌にあはせて、侶のゆくこと或ひはおそく或ひははやし 一二七―一二九
左の輪のほとりには、紫の衣を着てたのしく踊れるよたりの淑女あり、そのひとり頭に三の目ある者ほかのみたりをみちびきぬ 一三〇―一三二
かく擧げ來れる凡てのむれうしろに、我はふたりの翁を見たり、その衣は異なれどもおごそかにしておちつきたる姿は同じ 一三三―一三五
ひとりは己がかのいと大いなるイッポクラテ(即ち自然がその最愛の生物のために造れる)の流れを汲むものなるをあらはし 一三六―一三八
またひとりは、川のこなたなる我にさへ恐れをいだかしめしほど光りて鋭き一の劒を持ちて、これと反する思ひをあらはせり 一三九―一四一
我は次に外見みえの劣れるよたりの者と、凡ての者のうしろよりたゞひとりにて眠りて來れる氣色鋭き翁を見たり 一四二―一四四
この七者なゝたりは衣第一の組と同じ、されど頭を卷ける花圈はなわ百合にあらずして 一四五―一四七
薔薇とその他の紅の花なりき、少しく離れしところにてもすべての者の眉の上にまさしく火ありと見えしなるべし 一四八―一五〇
くるまわが對面むかひにいたれるときいかづちきこえぬ、是に於てかかのたふとき民はまた進むをえざるごとく 一五一―一五三
最初の旌とともにかしこにとゞまれり 一五四―一五六


   第三十曲

第一天の七星(出沒いるいづるを知らず、罪よりほかの雲にかくれしこともなし 一―三
しかしてかしこにをる者に各※(二の字点、1-2-22)その任務つとめをしらしめしこと恰も低き七星の、港をさして舵取るものにおけるに似たりき) 四―六
とゞまれるとき、是とグリフォネの間に立ちて先に進めるまことの民、己が平和にむかふごとく、身をめぐらして車にむかへば 七―九
そのひとりは、天より遣はされしものの如く、新婦はなよめよリバーノより來れ三度みたびうたひてよばはり、ほかの者みなこれに傚へり 一〇―一二
最後の喇叭らつぱの響きとともに、すべてめぐまるゝ者、再び衣を着たる聲をもてアレルヤをうたひつゝその墓より起出づるごとく 一三―一五
かの大いなるおきなの聲をきゝて神の車の上にたちあがれる永遠とこしへ生命いのちしもべ使者つかひ百ありき 一六―一八
みないふ。來たる者よ汝は福なり。また花を上とあたりに散らしつゝ。百合を手に滿たして。 一九―二一
我かつて見ぬ、晝の始め、東の方こと/″\く赤く、殘りの空すみてうるはしきに 二二―二四
日のおもて曇りて出で、目のながくこれに堪ふるをうるばかり光水氣にやはらげらるゝを 二五―二七
かくのごとく、天使の手より立昇りてふたゝび内外うちそとに降れる花の雲の中に 二八―三〇
白き※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かほおほひの上には橄欖を卷き、縁の表衣うはぎの下には燃ゆる焔の色の衣を着たるひとりの淑女あらはれぬ 三一―三三
わが靈は(はやかく久しく彼の前にて驚異おどろきのために震ひつゝくじかるゝことなかりしに) 三四―三六
目の能くこれに教ふるをまたず、たゞ彼よりいづるしき力によりて、昔の愛がその大いなる作用はたらきを起すを覺えき 三七―三九
わがわらべの時過ぎざるさきに我を刺し貫けるたふとき力わが目を射るや 四〇―四二
我はあたかも物に恐れまたは苦しめらるゝとき、走りてその母にすがる稚兒をさなごの如き心をもて、たゞちに左にむかひ 四三―四五
しづくだに震ひ動かずしてわが身に殘る血はあらじ、昔の焔の名殘をば我今知るとヴィルジリオにいはんとせしに 四六―四八
ヴィルジリオ、いとなつかしき父のヴィルジリオ、わが救ひのためにわが身を委ねしヴィルジリオははや我等を棄去れり 四九―五一
昔の母の失へるすべてのものも、露に淨められし頬をして、涙にふたゝび汚れしめざるあたはざりき 五二―五四
ダンテよ、ヴィルジリオ去れりとて今泣くなかれ今泣くなかれ、それよりほかのつるぎに刺されて汝泣かざるをえざればなり。 五五―五七
己が名(我已むをえずしてこゝにしるせり)の呼ばるゝを聞きてわれ身をめぐらせしとき、我はさきに天使の撒華さんげにおほはれて 五八―
我にあらはれしかの淑女が、さながら水軍ふなての大將の、ともに立ちへさきに立ちつゝあまたの船につかはるゝ人々を見てこれをはげまし
よくそのわざをなさしむるごとく、車の左のふちにゐて、流れのこなたなる我に目をそそぐを見たり ―六六
ミネルヴァの木葉このはに卷かれし※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かほおほひそのかうべより垂るゝがゆゑに、我さだかに彼を見るをえざりしかど 六七―六九
凛々りゝしく、氣色けしきなほもおごそかに、あたかも語りつゝいとあつことばをばしばしひかふる人の如く、彼續いていひけるは 七〇―七二
よく我を視よ、げに我は我はげにベアトリーチェなり、汝如何いかしてこの山に近づくことをえしや汝は人がさいはひをこゝに受くるを知らざりしや。 七三―七五
わが目は澄める泉に垂れぬ、されどそこに己が姿のうつれるをみて我これを草に移しぬ、恥いと重く額をせしによりてなり 七六―七八
母たる者の子にいかめしとみゆる如く彼我にいかめしとみゆ、きびしき憐憫あはれみあぢ苦味にがみを帶ぶるものなればなり 七九―八一
彼は默せり、また天使等は忽ちうたひて、主よわが望みは汝にありといへり、されどわが足をの先をいはざりき 八二―八四
スキアヴォーニアの風に吹寄せられてイタリアの背なる生くる梁木うつばりの間にかたまれる雪も 八五―八七
陰を失ふ國氣を吐くときは、火にあへる蝋かとばかり、溶け滴りて己の内に入るごとく 八八―九〇
つねにとこしへの球の調しらべにあはせてしらぶる天使等いまだうたはざりしさきには、我に涙も歎息なげきもあらざりしかど 九一―九三
かのうるはしき歌をきゝて、彼等の我を憐むことを、淑女よ何ぞかく彼を叱責さいなむやと彼等のいふをきかんよりもなほあきらかに知りし時 九四―九六
わが心のまはりに張れる氷は、いきと水に變りて胸をいで、苦しみて口と目を過ぎぬ 九七―九九
彼なほくるまの左のふちに立ちてうごかず、やがてかの慈悲深きむれにむかひていひけるは 一〇〇―一〇二
汝等とこしへの光の中に目をさましをるをもて、よるも睡りも、世がその道に踏みいだす一足をだに汝等にかくさじ 一〇三―一〇五
是故にわが答への求むるところは、むしろかしこに泣く者をしてわがことばをさとらせ、罪と憂ひのはかりを等しからしむるにあり 一〇六―一〇八
すべて生るゝ者をみちびきその侶なる星にしたがひて一の目的めあてにむかはしむる諸天のはたらきによるのみならず 一〇九―一一一
また神の恩惠めぐみ(その雨のもとなる水氣はいと高くして我等の目近づくあたはず)のゆたかなるによりて 一一二―一一四
彼は生命いのちの新たなるころまことの力すぐれたれば、そのすべての良き傾向かたむきは、げにめざましきあかしとなるをえたりしものを 一一五―一一七
種を擇ばず耕さざる地は、土の力のいよ/\さかんなるに從ひ、いよ/\惡くいよ/\荒る 一一八―一二〇
しばらくは我わが顏をもて彼をさゝへき、わが若き目を彼に見せつゝ彼をみちびきて正しきかたにむかはせき 一二一―一二三
我わが第二のよはひしきみにいたりて生を變ふるにおよび、彼たゞちに我をはなれ、身を他人あだしびとにゆだねぬ 一二四―一二六
われ肉より靈に登りて美も徳も我に増し加はれるとき、彼却つて我を愛せず、かへつて我をよろこばす 一二七―一二九
いかなる約束をもはたすことなき空しきさいはひかたちを追ひつゝそのあゆみまことならざる路にむけたり 一三〇―一三二
我また乞ひて默示をえ、夢幻ゆめまぼろしの中にこれをもて彼を呼戻さんとせしも益なかりき、彼これに心をとめざりければなり 一三三―一三五
彼いと深く墜ち、今はかの滅亡ほろびの民を彼に示すことを措きてはその救ひの手段てだてみな盡きぬ 一三六―一三八
是故にわれ死者の門をひ、彼をこゝに導ける者にむかひて、泣きつゝわが乞ふところを陳べぬ 一三九―一四一
若し夫れ涙をそゝぐくい負債おひめつぐのはざるものレーテを渡りまたその水を味ふをうべくば 一四二―一四四
神のたふときさだめは破れむ。


   第三十一曲

あゝ汝聖なる流れのかなたに立つ者よ、いへ、この事まことなりや否や、いへ、かくきびしきわがせめに汝の懺悔のともなはでやは 一―三
彼はさへしとみえしそのことばきつさきを我にむけつゝ、たゞちに續いてまた斯くいひぬ 四―六
わが能力ちから作用はたらきいたく亂れしがゆゑに、聲は動けどその官を離れてそとにいでざるさきに冷えたり 七―九
彼しばらく待ちて後いふ。何を思ふや、我に答へよ、汝の心の中の悲しき記憶を水いまだそこなはざれば。 一〇―一二
惑ひと怖れあひまじりて、目を借らざれば聞分けがたき一のシをわが口より逐へり 一三―一五
たとへばいしゆみを放つとき、これをくことつよきに過ぐれば、つる切れ弓折れて、矢の的に中る力のるごとく 一六―一八
とめどなき涙大息といきとともにわれかの重荷おもにの下にひしがれ、聲はいまだ路にあるまに衰へぬ 一九―二一
是に於てか彼我に。われらの望みの終極いやはてなるかのさいはひを愛せんため汝を導きしわが願ひの中に 二二―二四
いかなる堀またはいかなる鏈を見て、汝はさきにすゝむの望みをかく失ふにいたれるや 二五―二七
またほかの幸の額にいかなるなぐさめまたは益のあらはれて汝その前をはなれがたきにいたれるや。 二八―三〇
一のくるしき大息といきの後、我にほとんど答ふる聲なく、唇からうじてこれをつくれり 三一―三三
我泣きて曰ふ。汝の顏のかくるゝや、眼前めのまへに在る物その僞りの快樂けらくをもてわが歩履あゆみを曲げしなり 三四―三六
彼。汝たとひもだしまたは今の汝の懺悔をいなみきとすとも汝のとが何ぞかくれ易からん、かのごとき士師さばきづかさ知りたまふ 三七―三九
されど罪を責むることば犯せる者の口よりいづれば、我等の法廷しらすにて、輪はさかさまににむかひてめぐる 四〇―四二
しかはあれ汝今己が過ちを恥ぢ、この後シレーネの聲を聞くとも心を固うするをえんため 四三―四五
涙の種を棄てて耳をかたむけ、葬られたるわが肉の汝を異なる方にむかしむべかりし次第を聞くべし 四六―四八
さきに我を包みいま地にちらばる美しき身のごとく汝を喜ばせしものは、自然もわざも嘗て汝にあらはせることあらざりき 四九―五一
わが死によりてこのこよなき喜び汝に缺けしならんには、そも/\世のいかなる物ぞその後汝の心をきてこれを求むるにいたらしめしは 五二―五四
げに汝は假初かりそめの物の第一の矢のため、はやかゝる物ならざりし我に從ひて立昇るべく 五五―五七
をさなき女そのほか空しきはかなきものの矢を待ちて翼をひくく地に低るべきにあらざりき 五八―六〇
それ二の矢三の矢を待つは若き小鳥の事ぞかし、羽あるものの目のまへにて網を張り弓をくは徒爾いたづらなり。 六一―六三
我はあたかもはぢて言なく、目を地にそゝぎ耳を傾けて立ち、己が過ちをさとりて悔ゆるわらべのごとく 六四―六六
立ちゐたり、彼曰ふ。汝聞きて憂ふるか、鬚を上げよ、さらば見ていよ/\憂へむ。 六七―六九
たくましき樫の木の、本土ところの風またはヤルバの國より吹く風に拔き倒さるゝ時といふとも、そのこれにさからふこと 七〇―七二
わが彼の命をきゝておとがひをあげしときに及ばじ、彼顏といはずして鬚といへるとき、我よくその詞の毒を認めぬ 七三―七五
我わが顏をあげしとき、わが目は、かのはじめて造られし者等が、ふりかくることをやめしをさとり 七六―七八
また(わが目なほ定かならざりしかど)ベアトリーチェが、身たゞ一にてさが二ある獸のかたにむかふを見たり 七九―八一
※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かほおほひにおほはれ、流れのかなたにありてさへ、彼はその未だ世にありし頃世の女たちまされるよりもさらに己が昔の姿にまされりとみゆ 八二―八四
くい刺草いらくさいたく我を刺ししかば、すべてのものの中にて最も深く我を迷はしわが愛を惹けるものわが最も忌嫌いみきらふものとはなりぬ 八五―八七
我かく己が非をさとる心の痛みに堪へかねて倒れき、此時我のいかなるさまにてありしやは我をこゝにいたらしめし者ぞ知るなる 八八―九〇
かくてわが心その能力ちから外部そとに還せし時、我は先に唯獨りにて我に現れし淑女をば我うへかたに見たり、彼曰ふ。我をとらへよ我をとらへよ。 九一―九三
彼は流れの中に既に我を喉まで引入れ、今己がうしろより我を曳きつゝ、のごとく輕く水の上を歩めるなりき 九四―九六
われさいはひの岸に近づけるとき、汝我に注ぎ給へといふ聲聞えぬ、その麗はしさたぐひなければ思出づることだに能はず何ぞしるすをうべけんや 九七―九九
かの美しき淑女かひなをひらきてわがかうべが抱き、なほも我を沈めて水を飮まざるをえざらしめ 一〇〇―一〇二
その後我をひきいだして、よたりの美しき者の踊れるなかに、かく洗はれしわが身をおき、彼等は各※(二の字点、1-2-22)そのかひなをもて我を蔽へり 一〇三―一〇五
こゝには我等ニンフェなり、天には我等星ぞかし、ベアトリーチェのまだ世に降らざるさきに、我等は定まりきその侍女はしためと 一〇六―一〇八
我等汝を導いて彼の目のほとりに到らむ、されどそのうちなる悦びの光を見んため、物を見ること尚深き彼處かしこ三者みたり汝の目をば強くせむ。 一〇九―一一一
かくうたひて後、彼等は我をグリフォネの胸のほとり、ベアトリーチェの我等にむかひて立ちゐたるところに連行つれゆき 一一二―一一四
いひけるは。汝見ることを惜しむなかれ、我等は汝を縁の珠の前におけり、愛かつて汝を射んとてその矢をこれより拔きたるなりき。 一一五―一一七
火よりも熱き千々ちゞの願ひわが目をしてかのたえずグリフォネの上にとまれる光ある目にそゞがしむれば 一一八―一二〇
二樣の獸は忽ち彼忽ち此の姿態みぶりをうつしてその中にかゞやき、そのさま日輪の鏡におけるに異なるなかりき 一二一―一二三
讀者よ、物みづから動かざるにそのうつれるかたち變るを視しとき我のあやしまざりしや否やを思へ 一二四―一二六
いたくおどろき且つまた喜びてわが魂この食物くひもの(飽くに從ひていよ/\慾を起さしむ)を味へる間に 一二七―一二九
かのみたりの女、姿にきはのさらにすぐれてたかきをあらはし、その天使の如き舞のしらべにつれてをどりつゝ進みいでたり 一三〇―一三二
むけよベアトリーチェ、汝に忠實まめやかなるものに汝の聖なる目をむけよ、彼は汝にあはんとてかく多くの歩履あゆみをはこべり 一三三―
ねがはくは我等のために汝の口を彼にあらはし、彼をして汝のかくす第二の美をわきまへしめよ。是彼等の歌なりき ―一三八
あゝ生くるとこしへの光のかゞやきよ、パルナーゾの蔭に色あをざめまたはその泉の水をいかに飮みたる者といふとも 一三九―一四一
汝がひろき空氣の中に汝の※(「巾+白」、第4水準2-8-83)かほおほひぎて天のその調しらべをあはせつゝ汝の上を覆ふ處に現はれし時の姿をば寫し出さんとするにあたり 一四二―一四四
豈その心を亂さざらんや


   第三十二曲

十年ととせかわきをしづめんため、心をこめてわが目をとむれば、他の官能はすべて眠れり 一―三
またこの目には左右に等閑なほざりの壁ありき、聖なる微笑ほゝゑみ昔の網をもてかくこれを己の許に引きたればなり 四―六
このときかの女神等めがみたち、汝あまりに凝視みつむるよといひてしひてわが目を左の方にむかはしむ 七―九
日の光に射られし目にてたゞちに物を見る時のごとく、我やゝ久しくみることあたはざりしかど 一〇―一二
視力もとかへりてちひさきかゞやきに堪ふるに及び(わがこれを小さしといへるはしひてわが目を離すにいたれる大いなる輝に比ぶればなり) 一三―一五
我は榮光の戰士つはもの等が身をめぐらして右にむかひ、日と七の焔の光を顏にうけつゝ歸るを見たり 一六―一八
たとへば一の隊伍の、己を護らんとてたてにかくれ、その擧りて方向むきを變ふるをえざるまに、旗を持ちつゝめぐるがごとく 一九―二一
かの先に進める天の王國の軍人いくさびと等は、車がいまだそのながえを枉げざるまに、皆我等の前を過ぐ 二二―二四
是に於てか淑女等は輪のほとりに歸り、グリフォネはその羽の一をもゆるがさずしてたふとき荷をうごかし 二五―二七
我をひきて水を渉れる美しき淑女とスターツィオと我とは、わだちに殘せし弓の形の小さきかたなる輪に從ひ 二八―三〇
かくしてかの高き林、蛇を信ぜし女の罪に空しくなりたる地をわけゆけば、天使のうたふ一の歌我等の歩履あゆみとゝのへり 三一―三三
き放たれし矢の飛ぶこと三たびにして屆くとみゆるところまで我等進めるとき、ベアトリーチェはおりたちぬ 三四―三六
衆皆聲をひそめてアダモといひ、やがて枝に花も葉もなき一もとの木のまはりを卷けり 三七―三九
その髭は森の中なるインドびとをも驚かすばかりに高く、かつ高きに從ひていよ/\伸びひろがれり 四〇―四二
福なるかなグリフォネよ、この木口に甘しといへどもいたく腹をなやますがゆゑに汝これをついばまず。 四三―四五
たくましき木のまはりにて衆かくよばはれば、かの二樣の獸は、すべての義の種かくのごとくにして保たるといひ 四六―四八
曳き來れるながえにむかひつゝこれを裸なる幹のもとにひきよせ、その小枝をもてこれにつなげり 四九―五一
大いなる光天上の魚のうしろにかゞやく光にまじりて降るとき、わが世の草木くさき 五二―五四
膨れいで、日がその駿馬しゆんめを他の星の下に裝はざるまに、各※(二の字点、1-2-22)その色をもて姿を新たにするごとく 五五―五七
さきに枝のさびれしこの木、薔薇ばらよりうすく菫より濃き色をいだして新たになりぬ 五八―六〇
このときかの民うたへるも我その歌のこゝろせず――世にうたはるゝことあらじ――またよく終りまで聞くをえざりき 六一―六三
我若しかの非情の目、そのまもりきびしきために高き價を拂へる目が、シリンガの事を聞きつゝ眠れるさまを寫すをうべくば 六四―
我自らの眠れるさまを、恰も樣式かたを見てゑがく畫家の如くにしるさんものを、巧みに睡りを現はす者にあらざればこの事望み難きがゆゑに ―六九
わがめさめし時にたゞちにうつりて語るらく、とある光のきらめきと起きよ汝何を爲すやとよばはる聲とはわが睡りの幕を裂きたり 七〇―七二
林檎(諸※(二の字点、1-2-22)の天使をしてそのをしきりに求めしめ無窮の婚筵を天にいとなむ)の小さき花を見んため 七三―七五
ピエートロとジヨヴァンニとヤーコポと導かれて氣を失ひ、さらに大いなる睡りを破れる言葉をきゝて我にかへりて 七六―七八
その侶の減りたる――モイゼもエリアもあらざれば――とその師の衣の變りたるとをみしごとく 七九―八一
我もまた我にかへりてかの慈悲深き淑女、さきに流れに沿ひてわが歩履あゆみをみちびけるもののわがほとりに立てるを見 八二―八四
いたくあやしみていひけるは。ベアトリーチェはいづこにありや。彼。新しき木葉このはの下にてその根の上に坐するを見よ 八五―八七
彼をかこめるくみをみよ、他はみないよ/\うるはしき奧深き歌をうたひつゝグリフォネのあとより昇る。 八八―九〇
我は彼のなほかたれるや否やをしらず、そはわが心を塞ぎてほかにむかはしめざりし女既にわが目に入りたればなり 九一―九三
彼はかの二樣の獸の繋げるくるまをまもらんとてかしこに殘るもののごとくひとりまことの地の上に坐し 九四―九六
七のニンフェは北風アクイロネ南風アウストロも消すあたはざる光を手にし、彼のまはりに身をもてまろきかこひをつくれり 九七―九九
汝はこゝに少時しばらく林の人となり、その後かぎりなく我と倶にかのローマ即ちクリストをローマびとの中にかぞふる都の民のひとりとなるべし 一〇〇―一〇二
さればもとれる世を益せんため、目を今くるまにとめよ、しかして汝の見ることをかなたに歸るにおよびてしるせ。 一〇三―一〇五
ベアトリーチェ斯く、また我はつゝしみてその命に從はんとのみ思ひゐたれば、心をも目をもその求むるところにむけたり 一〇六―一〇八
いと遠きところより雨の落つるとき、濃き雲の中より火の降るはやしといへども 一〇九―一一一
わが見しジョーヴェの鳥に及ばじ、この鳥木をわけ舞ひくだりて花と新しき葉と皮とをくだき 一一二―一一四
またその力を極めてくるまを打てば、輦はゆらぎてさながら嵐の中なる船の、浪にゆすられ、忽ち右舷忽ち左舷に傾くに似たりき 一一五―一一七
我また見しにすべての良き食物くひものに饑うとみゆる一匹の牝狐かの凱旋車の車内にかけいりぬ 一一八―一二〇
されどわが淑女はそのけがらはしき罪を責めてこれを逐ひ、肉なき骨のこれに許すかぎりわしらしむ 一二一―一二三
我また見しにかの鷲はじめのごとく舞下りて車のはこの内に入り己が羽をかしこにちらして飛去りぬ 一二四―一二六
この時なやめる心よりいづるごとき聲天よりいでていひけるは。ああわが小舟をぶねよ、汝の積める荷はいかにあしきかな。 一二七―一二九
次にはわれ輪と輪の間の地ひらくがごときをおぼえ、またその中より一の龍のいで來るをみたり、この者尾をあげてくるまを刺し 一三〇―一三二
やがてはりを收むる蜂のごとくその魔性の尾を引縮め車底の一部を引出ひきいだして紆曲うねりつつ去りゆけり 一三三―一三五
殘れる物は肥えたる土の草におけるがごとく羽(おそらくは健全すこやかにして厚き志よりさゝげられたる)に 一三六―一三八
おほはれ、左右の輪及びながえもまたたゞちに――その早きこと一の歎息ためいきの口を開く間にまされり――これにおほはる 一三九―一四一
さてかく變りて後この聖なる建物たてものその處々ところ/″\より頭を出せり、即ち轅よりは三、かどよりはみな一を出せり 一四二―一四四
前の三には牡牛のごとき角あれども後の四には額に一の角あるのみ、げにかくくすしき物かつてあらはれしためしなし 一四五―一四七
その上には高山たかやまの上の城のごとく安らかに坐し、しきりにあたりをみまはしゐたるひとりのしまりなき遊女あそびめありき 一四八―一五〇
我また見しにあたかもかの女の奪ひ去らるゝを防ぐがごとく、ひとりの巨人その傍に立ちてしば/\これと接吻くちづけしたり 一五一―一五三
されど女がその定まらずみだりなる目を我にむくるや、かの心猛き馴染なじみ頭より足にいたるまでこれをむちうち 一五四―一五六
かくて嫉みと怒りにたへかね、異形いぎやうの物を釋き放ちて林の奧に曳入るれば、たゞこの林たてとなりて 一五七―一五九
遊女あそびめくすしき獸も見えざりき 一六〇―一六二


   第三十三曲

神よ異邦人ことくにびとは來れり、淑女等涙を流しつゝ、忽ちみたり忽ちよたり、かはる/″\詞を次ぎてうるはしき歌をうたひいづれば 一―三
ベアトリーチェは憐み歎きて、さながら十字架のほとりのマリアのごとく變りつゝ、彼等に耳をかたむけぬ 四―六
されどかの處女をとめ等彼にそのものいふをりを與へしとき、色あたかも火のごとく、たちあがりて 七―九
わが愛する姉妹等よ、少時しばらくせば汝等我を見ずまたしばらくせば我を見るべしと答へ 一〇―一二
七者なゝたりをこと/″\くその前におき、我と淑女と殘れるひじりとをたゞ表示しるしによりてそのうしろにおくれり 一三―一五
彼かくして進み、その第十歩の足いまだ地につかじとおもはるゝころ、己が目をもてわが目を射 一六―一八
かたちを和らげて我に曰ふ。とく來れ、さらば我汝とかたるに、汝我に近くしてよくわがことばを聽くをえむ。 一九―二一
我その命にしたがひて彼の許にいたれるとき、彼たゞちにいふ。兄弟よ、汝今我と倶にゆきて何ぞ敢て我に問はざるや。 二二―二四
たとへば長者のまへに、敬ひはゞかりてものいふ人の、その聲をとゝのふるをえざるごとく 二五―二七
我もまた言葉を亂していひけるは。わが淑女よ、汝はわが求むるものとこれにふさはしきものとを知る。 二八―三〇
彼我に。汝今より後怖れと恥の縺れをはなれよ、さらば再び夢見る人のごとくものいふなからむ 三一―三三
知るべし蛇の破れるうつははさきにありしもいまあらず、されど罪ある者をして、神の復讐がサッピを恐れざるを信ぜしめよ 三四―三六
羽をくるまに殘してこれを異形いぎやうの物とならしめその後獲物えものとならしめし鷲は常に世繼なきことあらじ 三七―三九
そは一切の妨碍障礙を離れし星の、一の時を來らせんとてはや近づくを我あきらかに見ればなり(此故に我これを告ぐ) 四〇―四二
この時來らば神より遣はされし一の五百と十と五とは、かの盜人をばこれと共に罪を犯す巨人とともに殺すべし 四三―四五
おそらくはわが告ぐることテミ、スフィンジェの如くおぼろにて、その智を暗ますさままた彼等と等しければ汝さとるをえじ 四六―四八
されどこの事速かに起りてナイアーデとなり、羊、穀物こくもつ損害そこなひなくしてこのむづかしき謎を解かむ 四九―五一
心にとめよ、しかして死までの一走ひとはしりなる生をうけて生くる者等にこれらのことばをわがいへるごとく傳へよ 五二―五四
またこれをしるすとき、こゝにて既に二たびまでも掠められたる樹についてすべて汝の見しことを隱すべからざるを忘るゝなかれ 五五―五七
凡そこれを掠め又はこれを折る者は行爲おこなひ謗※ばうとく をもて神に逆らふ、そは神はたゞ己のためにとてこれを聖なる者に造りたまひたればなり 五八―六〇
これを噛めるがゆゑに第一の魂は、噛める罪の罰を自ら受けしものを待ちつゝ、苦しみと願ひの中に五千年餘の時を經たりき 六一―六三
若しことさらなる理によりてこの樹かく秀でその頂かくうらがへるを思はずば汝の才は眠れるなり 六四―六六
また若し諸※(二の字点、1-2-22)の空しきおもひ汝の心の周邊まはりにてエルザの水とならず、この想より起る樂しみ桑を染めしピラーモとならざりせば 六七―六九
たゞかく多くの事柄によりて、汝はこの樹の禁制いましめのうちに神の正義のまことの意義を認めしものを 七〇―七二
我見るに汝の智石に變り、石となりてかつ黒きがゆゑに、わがことばの光汝の目をしてまばゆからしむ、されどわがなほ汝に望むところは 七三―
汝がこの言を心にゑがきて(たとひしるさざるも)こゝより携へ歸るにあり、かくするは巡禮が棕櫚にて卷ける杖を持つとそのことわり相同じ。 ―七八
我。あたかも印の形をとゞめてこれを變へざる蝋のごとく、わが腦は今汝のせしかたをうく 七九―八一
されどなつかしき汝の言の高く飛びてわが目およはず、いよ/\みんとつとむればいよ/\みえざるは何故ぞや。 八二―八四
彼曰ふ。こは汝が汝の學べるところのものをかへりみて、その教へのわがことばにともなふをうるや否やを見 八五―八七
しかして汝等の道の神の道に遠ざかることかのいと高き疾き天の地を離るゝごとくなるをさとるをえんためぞかし。 八八―九〇
是に於てか我答へて彼に曰ふ。我は一たびも汝を離れしことあるを覺えず、良心我を責めざるなり。 九一―九三
みつゝ答へて曰ふ。汝覺ゆるあたはずば、いざ思ひいでよ今日けふこの日汝がレーテの水を飮めるを 九四―九六
それ烟をみて火あるを知る、かく忘るゝといふことはほかに移りし汝の思ひに罪あることをさだかにあかしす 九七―九九
げにこの後はわが詞いとあらはになりて、汝のあらき目にもみゆるにふさはしかるべし。 一〇〇―一〇二
光いよ/\はげしくしてあゆみいよ/\遲き日は、見る處の異なるにつれてこゝかしこにあらはるゝ亭午の圈を占めゐたり 一〇三―一〇五
この時あたかも導者となりてむれよりさきにゆく人が、みなれぬものをその路に見てとゞまるごとく 一〇六―一〇八
七人なゝたりの淑女は、とある仄闇ほのぐらき蔭(縁の葉黒き枝の下なる冷やかなる流れの上にアルペの投ぐる陰に似たる)はつる處にとゞまれり 一〇九―一一一
我は彼等の前にエウフラーテスとティーグリと一の泉より出で、わかれてゆくのおそきこと友のごときを見しとおぼえぬ 一一二―一一四
あゝ光よ、すべて人たる者の尊榮さかえよ、かく一の源よりあふれいでてわかれ流るゝ水は何ぞや。 一一五―一一七
わがこの問ひに答へて曰ふ。マテルダに請ひ彼をしてこれを汝に告げしめよ。この時かの美しき淑女、罪を辨解いひひらく人のごとく 一一八―
答ふらく。さきに我この事をもほかの事をも彼に告げたり、またレーテの水いかでかこれを忘れしめんや。 ―一二三
ベアトリーチェ。さらにつよく心をきてしば/\記憶を奪ふもの、彼のさとりの目をくらませしなるべし 一二四―一二六
されど見よかしこに流るゝエウノエを、汝かなたに彼をみちびき、汝の常に爲す如く、そのえたる力をふたゝび生かせ。 一二七―一二九
たとへば他人ひとの願ひ表示しるしとなりて外部そとにあらはるゝとき、たふとき魂言遁いひのがるゝことをせず、たゞちにこれを己が願ひとなすごとく 一三〇―一三二
美しき淑女我をきてすゝみ、またスターツィオにむかひてしとやかに、彼と倶によといふ 一三三―一三五
讀者よ、我に餘白の滿みたすべきあらば、飮めども飽かざる水のうまさをいさゝかなりともうたはんものを 一三六―一三八
第二の歌にてし紙はやみなこゝに盡きたるがゆゑに、技巧の手綱にとゞめられて我またさきにゆきがたし 一三九―一四一
さていと聖なる浪より歸れば、我はあたかも若葉のいでて新たになれる若木のごとく、すべてあらたまり 一四二―一四四
清くして、諸※(二の字点、1-2-22)の星にいたるにふさはしかりき 一四五―一四七







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