Promozione & Retrocessione | ||||||||||||||
○ 昇格・降格制度について昇格・降格制度に詳しく触れる前に、セリエAの仕組みを確認しよう。 全10層からなる国内リーグはプロリーグ協会(Lega Nazionale Professionisti)を筆頭に3つの組織で管理されている。 | ||||||||||||||
○ 4チームの自動入れ替えはセリエAとセリエBだけこの10層のカテゴリー全ての間で昇格・降格制度があり、セリエAからは毎年下位4チームがセリエBの上位4チームと自動的に入れ替わる。セリエBからC-1へも同じく4チームが降格するが、セリエC-1からの昇格方法は少々複雑。 | ||||||||||||||
SERIE C | ||||||||||||||
セリエCは上下に C-1 と C-2 に分かれているが、さらに内部でグループ分けがされている。C-1はA(北部)とB(南部)に、C-2はA(北部)とB(中部)とC(南部)という具合にである。こういった組み分けは財政規模の小さいクラブが遠征費用を最小限に抑えるために有効に作用している。 ○セリエC の昇格・降格制度AとBという2つのグループに分けられているセリエC-1では、各グループに昇格枠「2」が与えられている。各グループの1位のチームはセリエBに自動的に昇格し、同グループ内の2位と5位、3位と4位がそれぞれホーム&アウェーのプレーオフを行い、さらに双方の勝者が中立地で一発勝負の決定戦を行って残る一つのポストを決定する。下部リーグに行けば行く程、この方式が複雑になる。 ○セリエC に埋もれている人材選手の多くはセリエA、Bのプリマヴェーラ(ユース)出身者で、経験を積ませる為にセリエCに修行に出されている場合が多い。また、才能が認められた若手はそのままセリエAのチームに買い取られる。 FWヴィエリ(インテル)はセリエCのプラートでデビューしたが2年目にはセリエAのトリノに移籍し、インテルに辿り着くまでの大活躍は皆が知るところだ。 またイタリア代表MFディ・リーヴィオ(フィオレンティーナ)はローマのプリマヴェーラに所属していたが、ローマでの1年目はセリエAへの登録のみで出場機会を得られず、翌年から計8年間、セリエB〜C-2のチームを渡り歩き、27歳の時にユベントスに移籍し初めてセリエAの土を踏んだ苦労人。 ○セリエD にも優秀な選手がいますセリエAのチームが練習試合などで相手にするアマチュアのチームの多くがセリエDのチームだが、実質5部リーグとなる彼ら選手達の実力は決して低くない。彼らの多くは実力があるもののチャンスを掴めなかった人々なのだ。 DFモレーノ・トリチェッリ(現フィオレンティーナ)は92年までセリエDのカラテーゼに所属していたが、当時ユベントスを指揮していたトラパットーニ監督(現イタリア代表監督)が守備陣の緊急補強を迫られた折、元イタリア代表DFジェンティーレ(現イタリアU-21代表監督)の推薦によってトリチェッリをユベントスに迎え入れた。ペルージャのコスミ監督なども現役時代はセリエD(ポンテ・サン・ジョヴァンニ)の選手であった。 ちなみにセリエDの『D』とはDILETTANTI(アマチュア)の頭文字だが、多くの選手はクラブから給料を受け取っているセミプロである。 | ||||||||||||||
|